ブラ琉大、歴史の旅

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琉球大学の構内には様々な史跡が存在しているらしい。今回はパンフレットを元に琉大構内を歩いてみた。

琉球大学は日本最南端かつ最西端の国立大学であり、我々DEEokinawaでも学園祭の様子学食のご紹介、敷地内にある博物館「風樹館」のご紹介をしてきました。


日本最南端の国立大学、琉球大学の学祭に行ってきた

僕が新潟の高校を卒業し、琉球大学に入学したのは1998年。大学を卒業した今も、図書館に文献を探しに行ったり、子供と敷地内を散歩したりと今でもたまに大学を訪れることがあります。

で、少し前に図書館で調べ物をしていたのですがそこで気になる小冊子を見つけました。これは学生向けに沖縄関係の資料の探し方を紹介する内容の冊子なのですが、あわせて図書館の職員の方が執筆したコラムも収められています。

こんな感じでコラムが載ってます
琉大構内の史跡・遺跡マップ

その内容が結構マニアックで、琉大の構内に残る史跡や遺跡が紹介されており、巻末の方にはマップも載っています。というわけで、本日はこのガイドブックを元に琉大構内の史跡を探して歩いてみました。

 

琉球大学の歴史

さて、構内を歩く前に琉球大学の歴史的な事に少し触れておきます。琉球大学は日本本土復帰前の1950年に首里城跡(今の県立芸大の場所)に開学、1977年から現在の場所に移転が開始されました。


余談ですが僕はここから見えるアパートに住んでました。家賃は27,000円

現在の千原キャンパスはその昔(琉球王朝時代?)、中城村津覇集落の人々が住んでいたのだそうで拝所的なものもあったようです。現在は医学部のある上原キャンパスと千原キャンパスの2つのキャンパスがあり、農学部の農場も含めると敷地は東京ドーム27個分くらなんだそうです。

 

北口からスタート

それではさっそく、史跡を求めて歩いてみましょう。琉球大学は北口、東口、西原口の3つの入り口がありますが、メインの北口からスタートします。

琉大の紹介の時に何度がご紹介していますが、琉球大学の中には千原池とという大きな池(というか川)があってキャパスが2分されており、北口の方には工学部と農学部が存在します。どちらも女子が少ない学部なので自嘲も込めて「宜野湾農工大」と呼ばれていました。

北口からしばらく歩くと交差点的なものがありまして、大学をぐるっとまわる周回道路、通称「ループ道路」に行きつきます。制限速度はたしか20kmなんですが割と速度を出した車が年に何回か事故ってるのを見た気がします。ループ道路は1周の距離が結構あるので、ジョギングコースとしても使われています。

さて、余談はここまでで冊子をもとに史跡を探していきましょう。

千原馬場

まずは北口から農学部にループ道路を少し進んだ所、ここは「千原馬場」の跡地なのだそうです。馬場とは沖縄の各地にあった馬の競走をした場所で今は公園になったりしてます。正直全く痕跡がないのでなるほどなとしか思えないのですが。

果樹園跡

千原馬場からさらに歩いた場所はかつて、果樹園が広がっていたのだそうです。台湾の陳さんが2万坪の村有地を開墾して作ったのだそうですが痕跡は今はありません。

按司墓、五連墓、イシグスク

さらに進んだ農学部の農場には按司墓、五連墓、イシグスクという史跡があるらしいのですが、残念ながら農場は一般は入れないのでパス。農場については農学部しか用がないので在学中も一度も入ることなく卒業してしまいました。イシグスクには棚原集落の人々の古いお墓があって、今でも子孫の方がお参りに来るのだそうです。

このままループ道路を進むとぐるっと大学を一周しちゃうので一旦北口に戻ります。

ちなみにですが、農場を越えたあたりのループ道路付近では季節になるとホタルが見られたりするので史跡ではありませんがおすすめスポットとしてあげておきます。

 

キャンパス内を進む

再び北口に戻り、今度はキャンパス内を通る道を歩きます。

ボージウシューヌカー

農学部にあるセメントの囲み、これはボージウシューヌカー跡だそうです。ボージウシュー(坊主御主)とは第二尚氏17代国王の尚灝王(しょうこうおう)のことで、晩年使っていた井戸らしいです。移転の時に取り壊しされる予定でしたが、首里のノロ(祭祀をつかさどる人)から残すように言われてまわりを囲っているのだそうです。まぁ言われないと全然分かりません。

さらにまっすぐ歩くと見えるのが「球陽橋」。

琉大キャンパスを2分する「千原池」にかかっている橋です。千原池は単位を落とした学生の涙が集まってできた、と僕らの間では伝わっていましたが、1977年に作られた人工池で農場用の用水ダムだそうです。もともとは川があってナービグムイという淵があったそうです。

シージマタヌ御嶽、トーフクェーマーチ

この千原池の近くにはシージマタヌ御嶽トーフクェーマーチ(豆腐喰松)、という拝所があるらしいのですが、

千原池に降りる道は現在関係者以外立ち入り禁止に。実は学生時代に一度だけ降りたことがあったんですが、ジャングルクルーズを100倍くらい過酷にした道だったので立ち入りできないようになってしまったのかもしれません。道の最後は千原池まで降りることができて、小さな香炉があったと記憶しています。

千原池は色々噂があって、「理学部のヤバイ排水が流れ込んでるので水に触れるとヤバイ」とか「球陽橋からバンジージャンプした学生がいる」とか「単位が足りないものは千原池の水草を取る労役を経て単位を取得した」みたいな話がありましたが真偽のほどは定かではありません。

さらに進んで図書館付近にやってきました。

首里の杜

図書館横の芝生広場は「首里の杜」と呼ばれているようです(学生時代呼んでる人を見たことがない)。

ここには琉球大学が開学した時に米軍当局によって建立された碑があります。

こちらは「開学の鐘」と呼ばれるガスボンベ。開学当時はこのガスボンベをチャイム代わりに使っていたのだそうです。

これは1960年にアメリカから送られた「複製護国寺の鐘」。日米友好の証だそうです。この首里の杜はキャンパスの移転記念に作られたものだそうで、これらのものは全て首里のキャンパスから移動させられてきたものであるとのことです。

さらに進んで共通教育棟付近にやってきました。

謎の拝所

ここには霊石を祀る拝所があるのですが、来歴は不明だそうです。

 

琉大構内は謎に溢れている

というわけで本日は琉大図書館発行の冊子を元に、琉大の中の史跡などを巡ってみたのですが痕跡がなかったり、場所が分からなかったりとなんだかよく分からない場所も多々有りました。他にもグラウンドあたりに「琉球で最初の茶畑跡」があったり、大学から少し出たところに「田芋発祥の地」があったりするらしいので、興味のある方は是非探してみて下さい。

それ以外にも琉球大学構内には


そんなに迫力はない

ダム好き必見、取水口だったり


図書館前にあります

本を読むシーサーだったり


サイトURLがすでに死んでる

よく分からないプロジェクトの跡だったりと史跡に限らず、色々面白いものが沢山あります。ブラブラと琉大内を歩いて気になるものを探してみてはいかがでしょうか。

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