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古写真の場所は特定できるのか
DEEokinawa読者の皆さまは、かつて出した100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのかという記事を覚えていらっしゃるでしょうか。
企画では沖縄公文書館に収蔵されている100年以上前(明治34年2月28日)の写真集「旅の家土産(たびのいえつと)琉球之巻」という書籍の写真の今の場所を探すという内容でした。
- 1901年
- 2013年
もちろん全然特定できない写真もありましたが、写真集の構成はほぼ史跡などだったので今の場所と比較が可能な写真も多くあり「こんなに変わってるのか」という場所と「面影がある!」という場所が混在しててなかなか面白かったです。
さて、そんな編集部にメールをいただきました。
こんなのネタになるでしょうか
はじめまして。突然のメールで失礼します。
「でぃーおきなわ」毎日楽しく拝見しています。
私、関東に住んでいる者ですが、沖縄の戦後の文化や風景について調べるのが趣味でして、復帰前の紙モノや発行物などコレクションしています。
さて、今回の市場の特集を拝見して、思い出したのですが数年前某大手オークションサイトで沖縄の戦後のものと思しきカラースライドを20枚程度落札しました。
写真屋さんでデータ化してもらったのですが、最初映画のスチールかな、と思ったほどびっくりするほど臨場感あふれる情景に驚きました。
感動のあまり1か月ぐらい、写真をみて過ごしたのを覚えています。
構図が素人とは思えず、床屋さん?を写した写真の鏡にカーキ色のスカートをはいた足が写っていましたので、勝手に米軍属の女性カメラマンが撮影した写真かな、などと想像しています。
ぜひ、写真の背景などを知りたく、沖縄県立図書館にレファレンスを依頼したりしたのですが(いかに私が入れ込んでいたかわかるかと思います)が、あまり場所を特定できる情報が映り込んでなく、三角屋根の店舗の写真が昔の公設市場かな、ひめゆりの塔がうつっているので風景写真は南部かな、ぐらいしかわかりませんでした。
その後、PCのデスクトップに放置したまま、今日まで忘れていたのですが、私のような1オタクが死蔵しているより、地元でメディアにかかわっておられる方に見ていただいた方がなにかと有効活用していただけるか、と思って添付させていただきました。
企画で写っている場所をつきとめていただければ嬉しいな、と思いますが、著作権やら肖像権の事情で(撮影者やモデルを突き止めるのはまず不可能と思いますが)、ブログへの掲載が難しいかもしれませんので、とりあえず何かの参考にしていただければ幸甚でございます。
では、これからも楽しい企画をお待ちしています。 失礼いたします。
メールを頂いた方は写真を入手して感動したものの、あまり趣味を共有できる人がおらず職場の上司に見せ感想を求めて困らせたりしていたらしいです。
さて、さっそく添付されていた写真を見てみましょう。
写真はそれぞれクリックで拡大できるようにしておきました。どうでしょうか…!かなり鮮明な写真でこれを入手されたメール主さんの興奮が伝わってくるようです。これは絶対DEEokinawa読者の皆さんも好きなやつですよね。
この写真がいつ、どこで撮られたものなのか、という点ですが戦後であることは間違いありませんが、一部の写真以外は全く場所の検討がつきません。
というわけで、この記事は皆さんのお力も借りつつ、各写真がどこでいつ頃撮られたものなのか(あと写真に写ってる人が誰なのか)、特定していこうという連載です。皆さんのお力を貸してください!
#06,#08
さて、写真の場所を特定するのはかなり難しそうですが簡単に場所を特定できる写真が2枚ありました。今回は手始めにそちらをご紹介したいと思います。
#06 ひめゆりの塔(糸満市字伊原)
この写真は沖縄に詳しくない方でも多分場所が分かると思います。どうみても糸満にある有名な戦跡、ひめゆりの塔ですよね。
というわけで場所を特定すべくひめゆりの塔まで足を運んでみました。
こちらが現在のひめゆりの塔。沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に建っています。手間の献花台には花が添えられ、今なお多くの人たちが訪れているのが分かります。写真とは随分様変わりしたように見えますが…
古写真では女性の後ろにある碑文がまだそのまま遺っていました。碑文は「昭和二十一年 四月十五日真壁村民」と記されており、除幕当時のものがそのまま現存しているようです。
古写真と構図をざっくりあわせるとこんな感じでしょうか。ちなみにもともとの「ひめゆりの塔」は碑文左奥の碑を指していてそれほど大きくありません。戦後の資難な時代に建立された事が原因らしいです。古写真では献花台と人々で見えてませんが、人と人の間の女性がしゃがんで写っており、その先にひめゆりの塔のあったと思われます。
#08 島守の塔(糸満市摩文仁)
場所が特定できたのはもう一点。#08ですが、碑文には「沖縄県職員 沖縄県知事島田叡 慰霊塔」と刻されているのがわかります。この碑は糸満市摩文仁にある「島守の塔」です。写真を拡大してみると塔の献花台部分にも「島守」の文字が見えます。
島守の塔の現在を確認しに糸満市摩文仁にある沖縄県平和記念公園に。
こちらが、現在の島守の塔。碑は新しくなっていましたが、刻まれている文字は当時のものを踏襲しているようです。整備はされていますが、階段の感じは当時そのままですね。
島守の塔の建立は1951(昭和26)年6月22日。というわけで一連の古写真はそれ以降に撮られたものということではないかと思います。沖縄県知事の島田叡(あきら)は兵庫県出身。戦時下の沖縄で沖縄県知事になり県民のために奔走しましたが、1945年6月26日に摩文仁の壕を出たあと行方不明となり、今日に至るまで遺体は発見されていません。島守の塔の後ろに当時の壕があります。
ちなみに階段を上がると「沖縄県知事島田叡 沖縄県警察部長新井退造 終焉之地」という碑が建っています。古写真でも階段を上がった先に土台部分だけ映り込んでいます。
ちなみに古写真を見ると碑の手前には「参拝記念」という木の札が沢山あるのが見えると思います。当然それらは現存していないのですが敷地には「参拝記念」の碑がひとつありました。裏側には伊丹市長の名が刻まれています。
写真の舞台は南部?皆様の情報をお待ちしております
以上二点、とりあえず場所が容易に特定できたものの今の風景をご紹介致しました。
両者は糸満市に位置するので一連の写真は南部なのかもしれません。
この風景とかもちょっと南部っぽいなぁと思っています。
とはいえまだ全然手がかりがありませんので、DEEokinawaの読者の中で「ここは知ってる」とか「ここではないか」という情報をお持ちの方がいらっしゃったら是非お寄せくださいませ。
場所が特定でき次第、また続編記事を書いていければと思います。