古写真の場所は特定できるのか vol.2

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読者の方から送られてきた沖縄のどこかの古写真。いったいどこの風景なのでしょうか?皆さんのお知恵を拝借しながら場所を特定していく連載2回目です。

ある日DEEokinawa編集部に送られてきた17枚の古写真。メールを下さった方は大手オークションサイトでこの写真をカラースライドで落札したそうです。

#01
#02
#03
#04
#05
#06 ひめゆりの塔(糸満市字伊原)
#07
#08 島守の塔(糸満市摩文仁)
#09
#10
#11
#12
#13
#14
#15
#16
#17

本企画は写真に写っている風景はどこなのか、この写真はいつ頃のものなのか、読者の皆様のお知恵を拝借して特定を進めようという企画です(第一回はこちら)。

さて、企画をやっておいてなんなのですが、正直な話、詳しい人がちょこちょこ連絡をくれる感じかなと思っていおりました。しかし記事公開直後からコメントなどで多くのご連絡を頂き、これがインターネットの集合知なのか...と感動しております。

というわけで頂いた情報をまとめつつ、引き続き古写真の場所の現在を探してきました。

#01,#02

ホワイトビーチからの風景(うるま市勝連平敷屋)

さて、古写真についてのコメントで最も情報が多かったのは#02の風景写真でした。

二番ですが、へしきやたきのー辺りでしょうか?
2枚目も屋慶名か平敷屋の高台からの眺めだと思います。手前がヤブチ、奥が平安座島だと
#2ですが、以下で間違いないかと思います。
ストリートビューが開きます
観光でしか沖縄に行ったことのない者ですが
#02
うるま市ホワイトビーチ辺りの小高い丘から
左手前:藪地島、右:浜比嘉島、左:奥宮城島(伊計島はかげになって見えない)、左遠景:金武町…ってのはどうでしょう?
グーグルマップを見て考えただけですので、ぜーんぜん違ってたら優しく叱ってください。
#2は https://goo.gl/maps/ANNuFhkR4A4pSUfB9 あたりっぽいですね。
#2の写真は多分、勝連半島の平敷屋あたりから平安島を望む方角の写真ではないでしょうか。
手前:勝連半島 左:藪地島 右:浜比嘉島 中央:平安座島 中央奥:沖縄本島

正直写真を見たときは「こんな風景写真で場所が分かるのか」と思ってましたが、皆さんすごいですね…!

というわけでうるま市は勝連、平敷屋付近にやってきました。

勝連半島の先っぽあたりに位置する場所ですが、ここにはアメリカ海軍の施設、ホワイトビーチがあります。

自衛隊基地
ホワイトビーチ

ホワイトビーチの中にはイベント以外で立ち入りはできないので、皆さんの情報を元に同じような構図を探してみます。ホワイトビーチの周りは平敷屋区の霊園になっているようなので細い道をウロウロします。

そしてちょっと小高い丘で撮影した写真がこちら。

コメントでも指摘されているとおり、手前の島は薮地島、左手奥は平安座と宮城島、右手の島は浜比嘉島です。

古写真
撮影したもの

いかがでしょうか。若干角度が異なる(古写真の方が高い場所から撮影されている?)のですが、島の形はほぼ一致しているようです。ということで#02の写真の撮影場所はホワイトビーチ周辺で撮影されているということでほぼ断定してしまってよいのでは無いかと思います。

続いて#01の写真。

#01 具志川商業高辺りから金武町方面
#1は、金武から宜野座方面を望んだところでは?
#1はホワイトビーチから金武方面を見たときに山並が似ています。
1番目はおそらく屋慶名か照間あたりから恩納岳を眺めてるところかなと…今で言う海中道路に向かっていく手前で、下るところかなと思います…

色々場所についての情報を頂きましたが、写真の空の様子だったり風景だったりを鑑みると#02とひとつなぎの写真なのではないかと思います。ということはホワイトビーチ付近で金武方面を望んだものが有力な気がします。

ということで金武方面の写真を撮影してみました。彼方に見える山々の影は確かに似ているような気がします。...が、#02ほど確証が無い感じもしますね。#02の時も思いましたが、古写真の方が撮影場所が高い位置であるような気がします。

 

#15

さて、続いて#15の写真。

どこかの市場の写真なのですが、

#15 は牧志公設市場ではないでしょうか!
#15ですが、牧志公設市場ではないでしょうか。琉球新報の記事で1960年の消失時の写真にある、三角屋根の連続、奥の階層の高い部屋がそっくりだと思います。
URLこちらです→https://ryukyushimpo.jp/news/entry-929198.html
(昭和27)3.27の候補者。さらに服装的にもポスターの劣化具合からも選挙日からそう遠くはない春から初夏であろうか。
撮影場所は那覇で市場とくれば当然牧志公設市場であろう。

なるほど、現在立て替えが進んでいる牧志第一公設市場とのことです。この写真は見ていると色々面白い所がありますよね。

車麩と島豆腐が写っています。豆腐の運び方がすごい。

これ、なんでしょうか?カマボコなんじゃないかと思うのですが、ご存じの方がいたら教えて下さい。

そしてコメントで頂いたこの張り紙。なんと「選挙ポスター」とのことです。

♯15の市場の写真の、お店の雨除けの上部分に又吉 康和さんの名前の張り紙があります。琉球新報社長や第14代那覇市長を勤めた経歴の方だそうですね(存じ上げず、ググりました)
那覇市長の在任期間は昭和27年3月~昭和28年9月ということでした。この張り紙は市長選挙のポスター?
でも張りっぱなしで時間が経過しているかもしれないので、何時かは推測しづらいですね。
♯15 他の方も指摘するように壁に「又吉康和」「仲本為美」の名前が書かれたポスターが張られている。調べると二氏は第三回那覇市長選挙1952年(昭和27)3.27の候補者。

沖縄の選挙ポスターといえば「カタカナ表記で名前を強調する」のが定番ですが、この古写真ではカタカナではなく漢字で書かれていますね。ここで興味深いのは選挙が行われたのが1952年ということで、写真の撮影は選挙後(あるいはちょっと前)であろうという点です。これは結構大きなヒントなんじゃないでしょうか。

そして、現在の写真の今はどうなっているのでしょうか。

那覇市第一牧志公設市場に。まだ取り壊しは行われておりません。

古写真の右手が公設市場であるならば、同じ構図はこんな感じになります。

古写真
撮影したもの

アーケードの有無だったり色々異なる点はありますが、なんとなく面影があるような気がします。古写真で右手に見える建物は1969年10月に焼失してるのでこの写真はそれ以前に撮影されたもの、さらに左手にはまだ水上店舗(ガーブ川に蓋をする形で建てられた建物)が存在していません。

さらにDEEの記事について県内の映画サークル、「シネマラボ突貫小僧」の當間早志さんがブログをまとめてくれているのですが

その後ろの上に突き出ている漆喰の瓦の建物(上の画像の緑の矢印)は、現在のパラソル通りにある「台湾茶屋」の建物かもしれない。

と、書かれています。

建物が現存しているとしたらかなりすごいことなのではないでしょうか。今の写真ではアーケードで見えませんが、公設市場のさらに奥手にある台湾茶屋にやってきました。古写真のセメント瓦は模様のついていないもので、確かにここの瓦も模様がついていません。

店舗の入り口の方に回り込んでみると、建物がもともと青色だったっぽい名残がありました。

お店でコーヒーを飲みながら話を聞いてみましたが、残念ながら古写真に写り込んだ建物はこの建物なのかは分からないとのこと。ただ建物ができた年は分かっていて1962年とのことでした。もともとは呉服屋で、それからカバン屋さんを経て、今の「台湾茶屋」になったということです。1962年だと少し年代が後な気もしますが、どうなのでしょうか。

 

続きます

というわけで本日は3点古写真の現在の場所らしき場所をご紹介いたしました。長くなりそうなので一旦ここで本日は区切りとさせていただきます。他にも沢山のコメントを頂いてまして、来週くらいにVol3を出したいと思いますので。コメントしたけど反映されてない、という方も今しばらくお待ちくださいませ。

徐々に明らかになってきた、古写真の場所の今。引き続き情報の提供もお待ちしておりますので、「ここを知ってる」「この人知ってる」という情報がございましたら、是非お寄せくださいませ。

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