100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)

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1901年に発行された沖縄の写真集。この写真に写っている場所は現在どのようなっているのだろうか。第二回です。

100年以上前の写真集、あります

明治34年2月28日発刊の沖縄の写真集、『旅の家土産(たびのいえつと)琉球之巻』という本に載っている場所を探すという企画を昨年やったのですが、皆さん覚えてますでしょうか?

始めて記事を見た、あるいは前回の記事をうろ覚えだという方は「100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)」をご参照くださいませ。


(沖縄公文書館に収蔵されてます。)

この本には下のように文章とともに100年以上も前の沖縄の風景写真が収められている訳ですが、この写真の場所、現在はどうなっているのでしょうか?

前回に引き続き「旅の家土産」を元に掲載された写真の現在の様子を見てみようと思います。

 

モノミグスク(吾妻館)

まず最初はモノミグスク。


モノミグスク(吾妻館)


上の建物が吾妻館?

モノミグスクは御物(おもの)グスクとも言われて首里王府の倉庫としての役割を担っていた施設だそうです。その後、ここには料亭が建てられてその名前が「吾妻館」。上の写真はグスク跡に建った料亭の写真なんじゃないかと思います。


沖縄志 巻1(明治10年出版)「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」より

 

参考までに前回引用した地図を再度見てみると地図の真ん中あたりに「物見城」という名前で記載がされています。かつては那覇湾に浮かぶ小島だったということです。

この写真の場所ですが、現在は那覇にある米軍港内。一般人は立ち入ることができません。

現在残っているのは石積みの一部。明治橋や那覇港からその姿を眺めることはできます。

ちなみに「吾妻館」は「風月楼」という高級料亭になったのですが、沖縄戦の空襲で焼けてしまったのだそうです。もったいない。

 

オテンダ

続いては「オテンダ」。全然聞いたことない地名です。


オテンダ


海と船?

風景写真には樽を積んだ船と目の前に水が広がっています。

調べてみると「オテンダ」は「落水(ウティンダ)」という那覇市の垣花地区、奥武山球場の南側ということでした。その昔の那覇は井戸の水が塩辛かったため飲料水に困っていたのだそうです。そこでここから飲料水を汲んで販売しにいくという商売があったのだとか。樽には水が入っているようです。

上の那覇市の古地図を見て頂くと御物城の左に「落水樋」という表記が見えると思います。このあたりっぽいですね。

因みに左側遠方に見える島が奥武山(古地図では奥ノ山と書かれてる)、真ん中あたりに見える島が「ガーナ森(古地図では蛾森と書かれてる)」ということです。もともと

今のウティンダあたりに来ました。すっかり埋め立てられています。

まだ少しですが水が湧き出ていて、飲料水を販売した名残が見られます。

さて、現在の風景から対応する方角を探してみましょう。写真だと分かりにくいですが、赤い矢印のこんもりしたところが現在の「ガーナ森」です。

1901年
2014年

ちょっとアングルが違いますけどガーナ森の方向から見るとこんな感じでしょうか。このあたりはかなり様変わりしてますね。

 

波之上

続いては波之上宮。琉球八社にも数えられる神社ですね。


バクケ山より波上を望む


遠くに見えるのが波之上宮。


同所本社


波之上の本殿?

まずは遠景の撮影場所から探していきたいのですが「バクケ山」なる場所(そもそも場所の名前かも分からないけど)が全然わからないのです。仕方ないので撮影方向から考えてみます。アングルからいくと、波之上宮の南西側から写真を撮ったように見えます。波之上宮の南西方向と言えば…

ちょっと怪しいお店が並ぶ歓楽街ですよね。明治時代に写真を撮影した場所の名残はあるんでしょうか…?

あたりをウロウロして、近くにあった公園に入りました。ここは割と小高くなっており、ここからなら同じようなアングルの写真が撮れそうです。

公園の小高い部分に登ると、一応波之上宮の屋根が見えるんですが、手前側の木と建物が邪魔であまり見えません。

1901年
2014年

バクケ山が何処なのかは分かりませんでしたが、そこそこアングルもほぼ同じなんじゃないでしょうか。

 

続いて波之上宮の本社を探しに波之上宮にやってきましたが…

社殿の奥の方には入れず。本社のあった場所がどこなのか、今何があるのか確認はできませんでした。

 

場所が特定できなかった写真

続いて場所が全然特定できなかった写真を二点。


土人の墳墓


墓写真。

上の写真の「土人の墳墓」ですが遠くに海が見える意外、墓しか写っていないため、場所が特定できませんでした。ただ、この写真集、ページが近い写真は同じ地域にまとまっているらしく、そこから考えるとさっきの波之上のハンタン山近くなんじゃないかと思います。よく見るとハンタン山からの波之上を見た風景の手前側にも墓が写っています。

 


那覇港外珊瑚礁


珊瑚礁?

こちらは「那覇港外珊瑚礁」と題された写真。遠くに建物が見えるんですがどの場所から撮った写真か特定するには至らず。多分干潮の時の写真だと思うんですが、ものすごい遠浅に見えますね。

 

続きます

というわけで明治34年の風景から、今の沖縄の場所を探す旅いかがだったでしょうか?

第一回をやった後「博物館とかもっと詳しい人に案内してもらった方がいいんじゃないのか」という意見を頂いて長らく放置してたんですが、原稿落としそうだったので記事にしちゃいました。ご意見頂いた方すみません。


守礼門っぽいけど守礼門じゃない。

写真集のページはまだまだ続いて、次は首里あたりをご紹介しようと思います。ご期待あれ。

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