船浮小中学校の平和学習で西表島の歴史を垣間見た

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先日、西表島の船浮小中学校の平和学習に同行する機会があった。自然だけだと思っていた西表島の歴史を垣間見た。

西表島のネタが続いて恐縮なのですが、先日取材で西表島に行ってきました。

そして、こちらは西表島の船浮(ふなうき)集落。船浮は陸続きの集落なのですが、集落にいたる道路がありません。船でしかアクセスできない「陸の孤島」とよばれています。船浮には取材の一環で訪れたのですが、ちょうどその日が船浮小中学校の平和学習が行われる日、ということで同行をさせてもらいました。

本日はそのお話をご紹介したいと思います。

 

まずは船で内離島(うちぱなりじま)に

船浮小中学校は現在全校生徒あわせて4名。今回の平和学習は地元船浮でツアーなどをしている池田克史(かつふみ)さんのガイドで行われます。

最初の平和学習スポットは、現在は無人島となっている内離島(うちぱなりじま)。いきなり船で移動します。船浮港からは10分ほど。

内離島の小さな桟橋
ここは池田さんが管理している土地で私有地

内離島にはいったい何があるのでしょうか?

桟橋からすぐのところにある少し開けた空間で、まずは解説が入ります。池田さんはおもむろに足元に転がっている石を持ち上げ、生徒達に「これはなに?」と聞きました。

皆さんはこの黒っぽい石がなんだか分かりますか?

正解は「石炭」です。

西表島はむかしから「燃える石」というものの存在が知られていて、石炭が産出されていました。西表において本格的に石炭が採掘されるようになったのは1886年(明治19年)のことで、三井物産株式会社によるものからだそうです。

西表島の石炭事業は大正時代に最盛期を迎え、内離島にも当時2,800名ほどが働いていたのだそうです。今では無人島の内離島ですが、小学校もあったし、西表で最初の郵便局も島にできました。ちなみに地番というのは郵便局を起点にして振られる仕組みらしく、今は何もない内離のこのあたりが「西表1番地」なんだそうです。

今でも炭坑のトロッコレールなどが残されています。

こちらが内離島にいくつある抗口のひとつ。内離島では比較的近年にできたもので「新抗」とよばれていたそうです。リアルにマインクラフトの世界でちょっとワクワクしますね…!

ここで働く坑夫たちの暮らしぶりはどうだったのか、というとまぁそれは過酷なものだったのだそうです。

まず坑夫の募集は内地から行われていたそうで、地元の人はここでマラリアが蔓延している事を知っていたのでなかなか雇えなかったかららしいです。本土(ほんとんど九州らしい)からマラリアの事には触れずに、うまいこと言って連れてきた人々が炭鉱夫になりました。

内離島に来るまでの渡航費は雇い主持ち持ちのためその借金もある上に、労働に対して支払われるのは「炭坑切符」とよばれる独自通貨。これは当然内離島でしか使えないので外に出ることができません。リアルマインクラフトかと思ったら、リアルカイジの世界です。

坑夫たちは脱走を試みたりしますが西表島本島に逃げても島民はかくまってくれず(最初の頃は炭鉱夫として罪人を集めたりしてたので恐れられていた)、最終的には炭坑よりも刑務所のほうがマシだということで暴力事件や放火などが頻発したそうです。

こちらは共同浴場。水タンクに穴を開けただけの簡素な作り。不衛生な環境もマラリア蔓延の原因となったのだとか。

このあたりは元居住スペース。もう木々が茂って見る影もありませんが、当時の生活を伺わせるビール瓶や食器などの生活用品がちらほら落ちていました。

炭坑事業が終わったのは第二次世界大戦中。戦争の激化によって石炭の出荷ができなくなってしまい、炭坑は閉鎖されていきました。多くの人は故郷に帰りましたが、そのまま西表島に残った人もおり「清水」や「井上」など本土姓の人たちはほとんどが炭鉱労働者の子孫なのだそうです。

西表島本島の方にも「ウタラ炭鉱跡」という場所があって、当時の跡地を見ることができますが、実際に間近で見る炭坑跡、迫力がありました。

 

船浮には要塞があった

内離島での炭坑跡見学を終えて、船浮に戻ります。

続いては第二次世界大戦と船浮集落のおはなしです。上の写真を見て頂きたいのですが、船浮の港から見える手前のこんもりした山。これが何なのかというと…

第二次世界大戦中に日本軍が造った軍事要塞の一部なのです。

西表島と戦争についての話は知りませんでしたが、西表島には第二次世界大戦中は補給基地的な役割を担うということで各所に日本軍が駐留していました。船浮集落は丸ごと接収されて住民は他の集落に移されたのだそう。

その時に造られた軍事施設は今でも残っていて、発電所跡や弾薬庫跡などを見る事ができます(一般の人は立ち入りできません)。

ちなみに、船浮集落の家には海軍が接収した「海軍用地」と書かれた石の標識も残っています。

第二次世界大戦にまつわる日本軍の戦跡を回って平和学習は終了。最後に全員が感想を話していましたが、小中学生らしからぬ立派な感想でした。

 

自然だけじゃない、西表島


後日ウタラ炭鉱跡も見学してきた

というわけで西表島の船浮小中学校の平和学習に同行した話をお届けいたしましたが、いかがだったでしょうか。西表島といえばまず誰もが思いつくのは自然、貴重な動植物的な感じだと思うのですが、炭坑の話だったり、戦争の話だったり、自然だけでない色々な歴史があったのだなぁと思いました。

…まぁ、僕の取材なんですが西表にいるとされる伝説のヤマネコ「ヤマピカリャー」を探すというものだったので、真面目な内容と相まって割と浮いた感じでした。すみません。

告知になりますがヤマピカリャーを西表島で探した話は、7月1日(土)に沖縄タイムスに折り込まれる沖縄タイムス創刊プレ70周年記念特集「ナポレオンも驚いた!びっくり沖縄宝島」に掲載されます。

ヤマピカリャーは見つかったのか!その正体は!

ぜひご覧下さい。

今回ガイドをして頂いた池田さんは、観光ツアーやシュノーケルツアーなどを船浮でやられています。炭坑ツアーは現在は行っていないとのことでしたが、船をチャーターする形では対応できるかもとのことでした。普段は入れない炭坑を見学したい!という方は下記まで問い合わせてみるとよいかもしれません。

ふね家
沖縄県八重山郡竹富町字西表2437(船浮)
TEL: 090-4470-5966

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