2015.01.09

旧泉崎ロータリーに棲まう、巨大生物を捕獲せよ!

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あなたは聞いたことがあるか。旧泉崎ロータリーに潜む、その生物の噂を。

 

那覇市内にいるという珍しい生物とは?

DEEokinawa読者の皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ある日、風のウワサで非常に興味深い話を聞きました。

「旧泉崎ロータリーには、とても珍しい生き物がいるんだよ。」

その場所がロータリーであった頃からこれまで、幾度となく、あらゆる方向からその場所を通ったことはありますが、くだんの生き物の存在に気がついたことはありません。

「牧さんが好きそうな生き物だよ。」

・・・ほう。
そこまで煽る気ならば、実際行って確かめてくるしかないでしょう!!

 

そして現場へやってきた

izumizakiryu001.JPG

やってきました旧泉崎ロータリー。今は泉崎交差点と呼ばれてますが、長く沖縄に住んできた人にはロータリーの方が通りがよいようですね。

そして、今回は生き物目当てでやってきたのである物を準備してきました。


網装備!!

友達の甥っ子の、水生生物用の網を拝借装備。見つけたら、こいつで一気に捕獲しようと思います!!

捕獲する前に、ちょうどこの近辺の歴史に関する説明書きがあったので、読んでおきましょう。

琉球王府時代、この58号線を境に旧泉崎ロータリーから海側は、現在の福建省からやってきた航海士、建築技術士、学者等職能集団の居住地でした。
その一帯は久米村と呼ばれ、中国からきた彼らとその子孫は、久米三十六姓と呼ばれていました。有名どころでは、1700年代に活躍した政治家、蔡温(さいおん)もその一人。
なお、『三十六姓』というのは、とても数が多いことを指すそうで、36の家の人たちがやってきたわけではありません。

簡単な理解が終わったところで、さっそく例の生き物を探してみましょう!


見つけたら即振り下ろせるよう、網を構える。油断してはいけない。


結構花が咲いている。蜜でも吸いに来るのか?

そもそもこの生き物。
どれくらいの大きさなのか、どんな形をしているのか、何匹いるのか、地面を這っているのか、跳ぶのか、はたまた飛ぶのか、噛みついてくるのか・・・。
手元にあるのは、ズタボロの網一つ。冷静に考えると、なんとも心もとない装備ですね。


網で木の高いところをゆすってみる。


目の前に出て来た黄色い蝶々に興奮して、一時目的を見失ったが、それじゃない。。

 
「オレ、歩道橋の上から探してみようか。」

ラチがあかないので、友達と二手に分かれて捜索することに。

しかし・・・


・・・。


珍しい生き物や〜い・・・。

家1軒立つか立たないかくらいのこの小さな敷地をどれだけ見回っても、それらしきものは一向に見つかりません。網を持っての目視ではダメなのでしょうか。もしや地中?スコップとかもってくればよかったのか。

歩道橋から見ている友達は、何か見つけたかな。


・・・。


「あっ!!」

何か見つけたようです。
でも草むらにいる私には見つけることができません、一体どういうことだ??
急ぎ歩道橋の上に駆けつけてみましょう。
 

歩道橋の上から見たもの、それは・・・


これだけ探して見つけられないのに、どこにいるっていうんだ。

・・・・。


い た 。

いたいた!!ついにくだんの生き物を見つけたぞ!!
さっそく読者のみなさんにも見ていただきましょう!!


ほら!!

わかりましたか?もう分かりましたよね!?
少し拡大して手を入れてみると・・・

旧泉崎ロータリーには、巨大な龍が潜んでいたんです!!

つまり、私は龍の額をうろちょろしながらあの巨体を探していたわけですね。
そりゃ見つけられるはずがありません。。
 

でも、なんでこんな場所に龍がいるの?

さて。
龍がいることは分かったんですが、そもそもなぜこんな場所に龍が??
ここは沖縄の歴史・文化に詳しく、ラジオパーソナリティーでもある賀数仁然(カカズヒトサ)さんに聞いてみることにしましょう。

−いつからここに龍が配置されたのでしょうか。

はっきりとした年代は定かではありません。記録でいうと、1713年に書かれた『琉球国由来記』には、久米村が風水を使い現在の久米大通りを龍に見立てていることがわかります。また『球陽』(尚質王3年/1750年)には、あの場所を龍の頭に見立て、角を模した松が配置されているとの記述があることから、それ以前、いや、14世紀くらいからあったと考えられます。

−どうして龍なんですか?

中国からやってきた久米三十六姓たちは、風水に基づき、久米大通りを龍に見立て龍脈とし、まちづくりを行っていったんですね。

−基本的な質問なんですけど、龍脈ってなんですか?龍脈とまちづくりはどう関係があるのでしょうか。

風水で大事なのは気の流れを読むこと。気の流れを龍脈というんです。
昔はあの龍の頭がある場所には久米大門(くめうふもん)、通りの反対側、尻尾に当たる場所には西武門(にしんじょう)という守礼門のような門が構えられていました。西武門があった場所は、今の西武門交番がある場所ですよ。


google earthで見ると、こんな感じになる。龍、巨大すぎ。

−県内では、他に龍がいる場所はありますか。

龍脈という意味では首里城。グスク造りももしかすると、風水を考慮したかもしれませんよ。風水でいうと、中城湾を囲む、勝連半島から知念半島にかけては、完全に龍脈だし、この尾根沿いにグスクが集中しているのは、もしかしたらそうだったのかもしれませんね。

−そういえば琉球王国時代は中国からきた人たちがたくさん住んでいたと思うんですが、横浜や長崎のような中華街がないですよね。どうしてなんでしょうか。

あったはずです。久米村の人は、少なくとも1650年までは中華風の服装をしていたことはわかっています。ちょうどこの時期に中国の王朝が明から清へ変わっています。琉球王国に渡ってきた中国人は、明国の漢民族。ところが17世紀に中国に興ったのは、女真族の清王朝でした。清は弁髪等の女真文化を強要したんだけど、彼らはそれに反発して琉装したりしましてね。徐々に沖縄になじんだり、先の大戦等色々な理由で、沖縄には中華街のようなものが完全に消滅しました。
読谷にあるむら咲むら内に、久米を再現した場所があります。そこには、大門の復元がありますよ。どこか中華的で、どこか琉球的なものが感じ取れるはずです。

−賀数さん、どうもありがとうございました!
 

捕獲なんかできるわけがなかった。なぜならば・・・

というわけで、今回は旧泉崎ロータリーからお届けしました。


満足できないけど、これで龍捕まえたことにしておこう。















・・・・まぁ、全部寸劇なんですけど!!!

以前、miooonさんが寸劇調に仲西ヘーイを探したことがあったんですが、私もやってみたかったんですよ、寸劇。
貴重なお時間を私のお遊びに付き合っていただき、どうもありがとうございました。

・・・とは言いつつも、龍が配置された道なんてそうそうあるもんじゃありません。
読者のみなさんも、あの周辺に足を運んだ際には巨大な龍を見て、王府時代のロマンに思いをはせてみてくださいね。


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