2015.04.27

マジムンは本当にいた・・・のかも!? @わかさ妖怪さんぽ

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地域の公民館では様々な講座やイベントが開催されているが、特に那覇市の若狭公民館はその取組みに定評があるようだ。そんな若狭公民館の主催するイベントに、初めて参加してきた。

昨日(4/26)放送されたウチナー紀聞にて

沖縄に住んでいる読者の方の中で、昨日放送されたRBC(琉球放送)のウチナー紀聞(AM11:00〜11:30)をご覧になった方はいるでしょうか?
実は私がDEEokinawaの存在を知ったのは、この番組でのDEEokinawa特集でした。
そんなウチナー紀聞の昨日の放送は、沖縄のマジムン特集。
その中で先日開催された若狭公民館主催の『わかさ妖怪さんぽ』の模様があったのですが、それに参加してきたので様子をお伝えします。

さんぽの前には、公民館での座学から

こちらが那覇市若狭にある若狭公民館です。
さんぽをする前に、まずは予備知識を、ということで、30分の座学からスタート。
今回の講師は、多くの沖縄の怪異に関する本を出版されている小原猛先生(左)と、『琉球妖怪大図鑑』でイラストを担当された三木静さん(右)。
小原先生はこの3月まで若狭公民館で職員をされていたこともあり、若狭とつながりが深い方です。
小原先生「(参加者に向かって)どちらからいらしたんですか?あ、浦添ですか。浦添には三木静という妖怪がいてですね・・(会場大笑い)」
先生、最初からとばしてます。

ウチナー紀聞のクルーも入っており、参加者も少し緊張
しばらくは、小原先生と三木さんによる妖怪談義が始まります。
キジムナーの悪戯に頭を悩ませたおじいがキジムナーをカラオケに連れて行った話や、ブラジルに持って行ったガジュマルでキジムナーを見かけ、キジムナーは輸出可能だったという話等々、興味がつきないものばかり。
ただし、中には公共の場には載せられない話もありました。聞けるのは参加者だけの特権ですね!
今回、小原先生の紹介するマジムンの話には、もれなく三木さんのイラストが添えられます。三木さんの描くマジムンは、どれも畏敬の念と、ちょっとした愛嬌に溢れているんです。
最も有名なキジムナーは、実は子供を泣かせたり、泡を吹かせたりする怖い面もある
目撃談の少ない、キジムナーの原型キーヌシー。木を切り倒すと障りがあるという伝承がある
その他、若狭にまつわるシーサーや耳切坊主等々の講義が終わったところで、いよいよさんぽのスタートです!
 

まずは真新しい若狭のシーサーへ

みなでゾロゾロと歩いていきます
取材クルーは走る走る!
昨年秋にオープンばかりのマックスバリュ若狭店にやってきました。
ほんの1年ほど前までは、ここは雑然とした空き地状態だったのをご存じの方もいることでしょう。
座学の際の話では、その昔、県立若狭病院に入院していたジュリがシーサーに悪戯したところ、病院が燃え上がったという伝承があり、そのシーサーは若狭の守り神として恐れ祀られることになったということだそうです。
(ジュリについては、過去記事初めての「ジュリ馬祭り」見学記をどうぞ)
病院を燃え上がらせたシーサーは、先の大戦で焼失。その後、新たに据えられた2代目シーサーがこの元・空き地にお祀りされていたのですが、
これが1年ほど前までの姿。立ち入り禁止の空き地の祠に安置されたシーサーは、肉眼では拝むことができませんでした。
マックスバリュ側はこの地に店舗を建設する代わりに、新たな守り神としてのシーサーを再建することを約束したそうですが、果たして・・・

マックスバリュの真裏にはピッカピカのシーサーが!
2代目は祠に安置されていましたが、3代目はそのままのようですね。まぁシーサーって野ざらしが基本なので、なくても大丈夫なんでしょうけど。
「これが若狭のシーサーです。マックスバリュが建てられて今は3代目に代替わりしていますが、2代目は若狭公民館の2階にいるので、帰ったら撫でてあげてくださいね。」
よし、帰ったら撫でまわすしかない。
「シーサーには魔除けの意味があり、火の山からマジムンが火を投げてくるので、その火を返すために昔はシーサーを山に向かって立てたりしていました。富盛の大獅子なんかそうですね。」

火伏として琉球王府からいただいたという富盛の大獅子
「ところで、シーサーってペアをよく見ますけど、本当の意味ではそれはシーサーじゃありません。沖縄のシーサーは、本来一つなんです。」
私もこれ、聞いたことがあります。
朝鮮から日本に伝わった狛犬が阿吽像の口の形を取り入れ、それが沖縄に伝わって1体だったシーサーと融合し、口を開けたもの、閉じたもののペアに変貌していったらしいですよ。
シーサーは、俗に言われる『ちゃんぷるー文化』の一つの形なんですね。
それでは、次に移動しましょう。
 

動物のマジムン、オンパレード!


辻にある、鬱蒼とした木々の前にて
昼間なのに、なんだか薄暗い場所までやってきました。
ここは那覇市辻の、かつて辻に最初に住んだ、いわゆる開祖をお祀りしている場所です。
「この上には鄭大夫(ていたいふ)岩というものがあります。1600年代に、空手の達人であった鄭大夫が寝ていると、「鄭大夫よ〜、鄭大夫よ〜」という声で目が覚めました。すると目の前には、巨大な牛マジムンが・・・!襲ってきた牛マジムンとガッと組み合って、この上にある岩にマジムンを組み伏せたんですね。鳥の鳴き声で朝を知り、ふと組み伏せた牛を見ると、牛の姿はなく、龕(ガン)があったそうなんです」

牛マジムン。人の念がつまったイメージで描いたそうです
龕とは死体を運ぶ神輿のようなもので、集落で保管されており、人が亡くなる度に使われました。使う度に人の死に触れ、穢れていくのですが、そうした穢れるものは化ける、つまり、付喪神化するそうです。
ここでは牛に化けた話が残っていますが、宮古の方では片脚ピンザーと言って、脚の欠けた、もしくは1本脚のヤギに化けるという伝承があるそうですよ。
・・・1本脚で歩けるのかという疑問が浮かんだんですが、マジムンなのでそこはどうにでもなるんでしょう。
茂った木々を抜けた先には、鄭大夫が牛マジムンを組み伏せたという岩が。右の隅に龍が見えますが、料亭の作ったものなので神聖でもなんでもないそうです。

闇夜に溶けそうに2本脚で立ち上がるのは・・・
「ここは昔、港から豚を運んでたくさん屠殺していたので、豚のマジムン、ウヮーマジムンが大挙して現れたという記録が残っているそうです。このマジムンに股をくぐられるとマブイを抜かれてしまうので・・・
こうやって歩いたそうですよ!」
黄昏時以降にこの界隈を歩いて無事で済みたかったら、みなさんこうやって歩きましょうね。
ジュリが多くいた地なので、ジュリマジムンも出たそうな
 

最後は、DEEでは名の知れた妖怪を呼びに

辻から約1kmの道のりを歩いて向かった先、それは・・・
潮渡橋でした。
はい。潮渡橋と言えば、以前miooonさんがある妖怪を捕まえにきた場所でしたね。(その時の様子と妖怪の説明は、こちらから)
「ここは仲西ヘーイの出る場所です。記録は大正15年、ここで「仲西ヘーイ」と叫ぶと、仲西ヘーイが現れてさらわれてしまうそうです。3日以内に見つかれば助かるそうですが、ここでさらわれた女性が首里の井戸の底から発見された記録が残っているんですね。また別の話ですが、国頭で神隠しにあった人が先島まで飛ばされたという伝承も残ってるんですよ。」
そして、先生の無茶ぶりタイムがやってきます。
「誰か、仲西ヘーイって叫びたい人、手挙げて!」
牧「はい!!!」
私は昨年5月に妖怪さんぽに参加したことがあるんです。その時は仲西ヘーイが現れるといわれる黄昏時だったこともあり、この無茶ぶりに対して誰も手をあげませんでした。なので、誰もいなければ手をあげてみようと画策していたのです。
「なっかにっしヘーーーイ!!!!」
・・・。
誰も現れません。
現れるのは黄昏時、しかし今はお天道様の降り注ぐ正午きっかり。そりゃそうだよな。
すると小原先生が怖いこと言い始めました。
「僕が以前ここで叫んで少し経った後、おばぁにポンと肩を叩かれたんです。そしたらおばぁ、「3日後だよ、3日後」と怖いこと言ったんですよ!まぁ何もなかったですけどね」
3日後・・・私にも、何もありませんように・・・。
 

帰る前に挨拶しておこう

さて、仲西ヘーイの後は再度公民館に戻ってまとめの後、終了です。
ミーハーな私は、この日のために先生の著書を持ってきました。

先生、今日はありがとうございました!!
そして最後に、役目を終えた2代目若狭の守り神シーサーに挨拶を、と。
我が家が焼け落ちませんように。
でもこんなにオープンな場所じゃ、いつか悪ガキにさらわれてしまいますよ?
 
 
 
最後に、ちょっとした後日談があります。
さんぽが終わって2日目の月曜日の朝。上半身が何かに押さえつけられるようなひどい疲労と頭痛で、朝ベッドから起き上がることができませんでした。そんな私が一瞬だけ嗅ぎ取ったニオイ・・・それはまぎれもない、ケモノ臭。うちには動物は飼っていないはずなのに・・・??
もし今後私の記事が掲載されないようであれば、仲西ヘーイにさらわれたか、家が焼け落ちたかのどちらかだと思ってください。。

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