沖縄の風呂屋はどこに消えたのか vol.3

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かつて興隆を極めた沖縄のゆーふるやー(銭湯)は現在どうなっているのだろうか。昭和48年の電話帳と読者の方から頂いた情報を元に跡地を訪ねてみた。

沖縄の風呂屋はどこへ消えたのか


これは那覇にかつてあった日の出湯

沖縄の銭湯「ゆーふるやー」。

沖縄タイムスの記事によれば「公衆浴場業環境衛生同業組合によると、六〇年の最盛期に県内に三百一件の銭湯があり、ほとんどが那覇市内に集中していた。」(沖縄タイムス2001/10/15 朝刊-1集 19頁 県都面)と書かれていますが、家庭への湯沸かし器の普及などにより姿を消し始め、現在沖縄で現存しているゆーふるやーは沖縄市にある中乃湯のただ1店舗となりました。

では消えていった風呂屋はいったいどうなっているのでしょうか。


クリックするとでかくなります。

この特集は昭和48年の電話帳のリストをベースにその痕跡を追っていこうという企画です。

過去の記事は
沖縄の風呂屋はどこに消えたのか vol.1
沖縄の風呂屋はどこに消えたのか vol.2
を参照下さい。

 

調査の進捗と新たな情報

前回からちょっと時間が経ってしまいましたが、前回からまた色々と情報を頂きました。情報提供頂いた皆様ありがとうございます!

まずは風呂屋の興隆について文献での記載が見つかったのでそちらをご紹介しておきます。比嘉朝進という方が書かれた『戦後の沖縄世相史』という本があります。この本は著者が過去の新聞記事などから戦後の沖縄の歴史をまとめたものなのですが、銭湯についての記載がありました。

(1949年)この年湯屋四二件あり、翌年二月に十軒増加

1949年といえば終戦から4年。この段階で結構な数の風呂屋があったことになります。4年で40軒あまり、翌年に10軒増加ということで年10軒くらいのペースで増えてるのですが、先述の沖縄タイムスの記事の1960年に301軒になっているのでどこかで爆発的に風呂屋が増えた時期があったのだと思われます。

そして上記がこれまでの調査結果です(スマホの人は拡大地図を表示を押してみて下さい)。赤い×は痕跡なし、カメラマークは何らかの痕跡があった場所、家マークは建物が現存しているものです。

なかなか確認にいけずにそんなに更新されてません。ごめんなさい!

 

新たに発見した銭湯の痕跡たち

では前回から新たに発見した銭湯の痕跡についてご紹介していきたいと思います。

喜久湯(中城村)

こちらは中城村の喜久湯。建物が現存しています。喜久湯についてはDEEのライターの犬尾さんとTwitterでシロヤギさん(@ennoyu)から情報を頂きました。ありがとうございます!

建物にはよく見るとまだうっすらと「喜久湯」の文字と温泉マークが。新聞記事を検索してみると1998年の沖縄タイムスに

「終戦直後にオープンしたというから、もうすぐ半世紀になる。上原喜久枝さん(77)がいつものように薪(まき)をくめると、こじんまりとした湯ぶねにお湯がたまり始め、中城村津覇にある「喜久湯」の一日が始まる。」(沖縄タイムス 998.02.06 朝刊-1集 23頁)

という記事がありました。かなりの老舗、かつ結構近年まで営業されていたようです。

全国浴場組合のロゴ
こちらは沖縄県公衆浴場業生活衛生同業組合

扉には全国浴場組合と沖縄県公衆浴場業生活衛生同業組合の加盟シールみたいなものが貼られているのですが、沖縄県公衆浴場業生活衛生同業組合の方には昭和62年の文字が。年季がはいってます。

 

越来湯(沖縄市)

続いては沖縄市にあった越来湯。こちらもそのまま建物が現存しています。

建物にはうっすらと越来湯の文字が見えます。中央にはこれまたうっすらと温泉マークの跡が見えます。ネットで検索すると営業している姿も見ることができるので、こちらも割と近年まで営業をしていたようです(往事の姿はこちらから見られます)。こちらもDEEのライターの犬尾さんとTwitterでシロヤギさん(@ennoyu)からの情報です。

 

和泉湯(沖縄市)

こちらは銭湯跡。古い住宅地図で確認したところ「和泉湯」という名前だったようです(こちらもDEEライター犬尾さんとシロヤギさんから)。現在は駐車場になっていますが、割とはっきりと銭湯の跡が残っています。多分中央の壁を境に男湯・女湯と分かれていたのだと思います。

タイルの先にある部分が浴槽でしょうか。

壁側のタイルには「水」「湯」の文字も確認できました。

 

小禄湯(那覇市小禄)

続いては「超ローカルなホームページ「小禄 -OROKU- うるく」を運営されているたからネットさんから情報を頂いた銭湯跡です。名称不明とのことでしたが、住宅地図で調べたところ「小禄湯」という名前でした。

現在は駐車場になっており、一見何も無さそうに見えますが…

タイルの跡が残っています。

こちらは恐らく浴槽の跡。余談ですが、「超ローカルなホームページ「小禄 -OROKU- うるく」はDEEokinawa以前からよく拝見していました。頂いた情報には経営者名と門中、屋号が添えられており情報の精度がすごかったです。


「みどり湯」。銭湯があったという1階部分は駐車場に

たからネットさんからはあと2軒銭湯の情報を頂いており、1軒は「みどり湯」という名前で建物は現存しているようなのですが、痕跡がよく分かりませんでした。住宅地図では1階が銭湯、2階は住居になっており、現在も2階には誰かお住まいのようなので折りをみて話を聞いてみたいと思います。もう一軒頂いた「おたふく湯」については駐車場になっており痕跡は見つかりませんでした。それぞれ地図にプロットしております。

 

こがね湯(棟元)(那覇市)

最期は電話帳リストにもあるこがね湯(棟元)。それらしいものは無かったのでもう現存していないと思っていましたが、読者の方に建物が現存しているという情報を頂きました。改めて確認してみるとどうもこの建物がそれらしいです。国際通り付近、ニューパラダイス通りあたりなのでこんな所にまだ建物が現存しているとは…!

「一階の銭湯からの湿気を逃がすためか、二階との間に空間があります。」ということでしたが、ちょっと建物がよく確認できませんでした(盗撮みたいになってしまった)。こちらは追加で調べてみたいと思います。

 

まだまだ風呂屋の跡はきっとある


瓦礫に混じってこういうタイルを見るとちょっと反応してしまう

というわけで沖縄の風呂屋の痕跡を捜す旅、第三回目でした。調査を進めていくと全く痕跡が見つからないものもありますが、結構建物が現存していたりする場所も多いことが分かってきました。

電話帳のリストから始まった調査ですが、徐々にリストにない風呂屋の情報も集まってきておりまだまだ風呂屋の痕跡を探す旅は続きそうです。

DEEokinawaでは引き続き、銭湯に関する情報を募集しております。銭湯に関する情報をお持ちのかた(ここにあった、とか親戚が経営していたとか)はぜひとも編集部にご一報くださいませ。よろしくお願いします!

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