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沖縄の観光ホテル第一号『沖縄ホテル』を訪ねて
それは、あの銅像からはじまった
昨年のコネタ『那覇空港にはひっそりとした展望デッキがある』という記事内にて、展望デッキに設置されている銅像についてさらっとご紹介したのを覚えているでしょうか。
この銅像の人物は、"沖縄観光の父" と呼ばれている宮里 定三(みやざと ていぞう)氏。
この宮里定三氏について調べているときに、沖縄県の観光ホテル第一号を作った人物だという情報を目にしました。
そしてそのホテルというのが、栄町市場からもほど近い、那覇市大道にある「沖縄ホテル」だというのです。
ほらほらこの特徴的な入り口、見かけたことあるはず。
沖縄県で第一号の観光ホテル。そんなの興味が湧かないはずがありません。
早速問い合わせたところ快諾いただき、取材に伺う運びとなりました。
実は私は学生時代に沖縄旅行でいちどこちらに宿泊したことがあり、約18年ぶりの再訪。
個人的にもものすごく感慨深かったです。
創業当時は波の上にあった沖縄ホテル
交通量の多い県道から沖縄ホテルの駐車場へと進んでいくと、そこには驚くほど緑豊かで静かな空間が広がっています。
キジムナーが棲んでいそうな大きなガジュマルや、サガリバナ、美味しそうな実をつけたザクロやシークヮーサーの木。聴こえてくる鳥のさえずり。
あれ、ここ本当に那覇だっけ?と、思わず頭が混乱してしまいそうなほどの自然の豊かさです。
今回お話を伺ったのは、沖縄ホテルの支配人、渡嘉敷 直功さん。
お忙しいなかお時間を作っていただきありがとうございます!
ー本日はよろしくお願いいたします。
ホテルのウェブサイトにある【歴史】のページを拝見したのですが、創業当時は波の上にあったとか。
はい、おそらく今の神宮会館があるあたりではないかなと思います。
この写真でいうと、下の鳥居の手前左側あたりですね。バラックが建てられているところです。
『沖縄ホテル』ウェブサイトより引用
創業は昭和16年(1941年)で、国からの要請があって作られた観光ホテルの第一号ということになっていますが、実質は観光ホテルというよりビジネスホテルという感じだったようです。戦前ですから、三菱とか財閥系の会社の沖縄支店長クラスが長期滞在で利用するなど、今で言うウィークリーマンションみたいなものだったと思います。
ーそれが、残念ながら米軍の艦砲射撃によって消失してしまったんですね。
はい、昭和20年のことです。駐車場の片隅に琉球石灰岩が置いてあるんですが、あれは艦砲射撃の焼け跡から掘り起こしてこちらに運んできたものなんです。かろうじて残ったものは石ぐらいで、ほとんど何も残らなかったようです。
焼け跡から運び出した琉球石灰岩
当時の雰囲気を今に伝えるレンガ造りの建物
ーその後、こちらの場所(那覇市大道)に移転して営業再開されたんですね。
はい、戦後の昭和26年からですね。現在も敷地内に当時の赤いレンガ造りの建物が残っているんですが、元々貿易会社の建物だったものを買い取って改装したもので、戦前の昭和初期からある建物だと聞いています。
とても味のあるレンガの建物
現在は建物の一部を、隣接するBBQガーデンのトイレとして、あとは倉庫として使っているだけですが、すごくしっかりした建物なので、なにかに利用できないかなあとは考えているんですけどね。
屋根は葺き替えを行ったそうで梁も立派
当時はこのレンガの建物に6室、木造の別棟に12室の合計18室と小さく再開したのですが、立地の良さも有り、芸術家も多く滞在されていますよ。画家の山下清や版画家の棟方志功、それから益子焼で有名な浜田庄司先生は、半年ほど当ホテルに滞在しながら壺屋焼きの指導に通っていたと聞いています。いわゆる "迎賓館" 的な役割もあったみたいですね。
そうそう、千葉真一らが出演していた『キイハンター』という映画の撮影も行われたらしいですよ。
観光ホテル第一号の誇りを胸に
ー最近はやはり海外からのお客さんも増えていますか?
いえ、もともと国内の観光客を中心にしていたので、国内のほうが多いですね。海外からのお客様は10%いるかどうか、というぐらい。海外からの観光客となると団体客が多いんですが、洋室の部屋数がそんなに多くはないので、大きく販売できないというのがあって。
そのぶん、といってはなんですが他国の生活習慣の違いから来るマナーに関するクレーム、というのはありませんね。都会のオアシス的な、静かなホテルだと思います。地元沖縄の人からも「ここに来るとほっとするよね」と言ってもらえるのが嬉しいですね。
最近は外資系や本土系も含め、新しいホテルがたくさん出来ていますけど、沖縄の人がやっている沖縄ならではのホテル、という部分を出してお客様に楽しんでもらいたいと思っています。「沖縄ホテル」というのも、他所には無いシンプルでいい名前ですしね。
大きなホテルのように食事の種類をたくさんは出したりはできない分、シンプルでもしっかりしたものを出そうということで工夫しています。バナナの実がなったときには朝食にお出ししたりして、沖縄らしさを感じていただけると嬉しいですね。
ロビーには海洋博やイザイホーなどマニアックな本が揃う
宴会ホールの名前は創業者の宮里氏にちなんだもの
沖縄の観光には波があるので、このホテルは歴史が長いぶん、苦しい時期も多々ありました。
でもやはり、観光ホテル第一号だという誇りを持ちながら、これからも地元・沖縄のホテルとして頑張っていきたいですね。
ー貴重なお話、ありがとうございました!
これまでも、そしてこれからも
創業77年。人間でいうと "喜寿" を迎えた沖縄ホテル。
繁華街からも近い那覇市内にありながら、古き良き沖縄ならではの情緒が溢れていることに驚きました。
そして、観光ホテル第一号としての誇りを胸に、常におもてなしの心でゲストを迎えてくれる素敵なホテルでした。
広い駐車場に大浴場完備、そして酒飲みの聖地(?)栄町市場からも近いとあって、地元客が利用するのにもとても便利。
私もいつかまた、泊まりに来たいと思います。
最後に、建物裏のゴミ捨て場で見かけた、この上ない "沖縄らしさ" を感じる画像で終わりたいと思います。
標準語訳)必ず押しつぶして、しっかり空気を抜いて固結びで出しましょう