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振り向けば竜宮~竜宮の拝所コレクション~
沖縄の至る所にある竜宮の拝所。実は大昔、竜宮の拝所と人々の生活とは、深い関わりがありました。拝所から見えてくる、その土地の歴史とは。
はじめまして。初めてDEEokinawaに投稿します、クイナがこけたと申します。
琉球の歴史に魅せられて、まだ数年。時間を見つけては、大人の自由研究を楽しんでいます。
さて、琉球の歴史本を読んでいると、「ここには昔、港があって、この辺りまで船が入ってきていた。あの辺には竜宮神(りゅうぐうしん)が祀られている。」というような一文を目にします。
なるほど、竜宮神が祀られているところには港があったんだ。と漠然と思っていたのですが、あるとき地元の人からこんな話を聞きました。
「人は水がないと生きていけないので、大昔の人は水が湧くところに村を造りました。村の人たちは水が湧く場所に感謝して、祈りを奉げてきました。水は川となって海に流れていきますよね。沖縄の人は川を蛇と見立てて神聖なものとしました。そして河口を蛇の頭と見立てて竜宮神を祀ったんです。」
おぉ。なんという生活感。
今まで竜宮神って、単純に龍の神様で、ボールを集めたら願いを叶えてくれるんだ。ぐらいリアリティがなかったのに。大昔の人の生活と、こんなにも隣り合わせな神様だったなんて。
ならば、沖縄で竜宮神があるところには、何かしら大昔の人たちを知るヒントが隠されているかもしれない。そう思ったので、今まで撮りためた数々の竜宮の拝所から、沖縄の歴史を覗いてみました。
そもそも竜宮神とは何なのか
ところで、この記事を書くにあたって、竜宮神とは何なのか、サクッと調べてみました。
サクッと調べてみた感じ、沖縄でいうところの竜宮神は、海の神様的な存在。というぐらいぼんやりしていて、例えば『龍』そのものとか、『亀さん・乙姫さん』みたいな、はっきりとした誰かではないようでした。(あくまでもサクッと調べた感じですが…)
沖縄の海の、サンゴ礁でできた浅瀬の先に、急に現れる深い海のその奥底に、『リューグー』という、人間界とは全く違う世界があると信じられていた。みたいに書いている本もありました。
地域によっては、竜宮神は白馬の姿をしている。とか、白帆の船でやってくる。といわれているところもあるようです。
そして、竜宮の拝所では、航海の安全や豊漁を祈願したり、農作物の害虫や害獣を払ったりする行事が行われてきたそうです。
なので、沖縄での竜宮の拝所とは、人間の力ではどうすることもできないけど、生きるために必要な事柄について、海の向こう、もしくは奥底の、よくわからない世界の大きな力に向けて、祈りをお通しする。みたいな場所なんだと思います。
さて、竜宮について、ぼんやりとまとめたところで、拝所から垣間見える沖縄の歴史を紹介します。
泊竜宮神(那覇市泊)
まず始めは、那覇市泊にある天久宮。
その敷地内で見つけたのが、泊竜宮神の拝所です。
那覇市泊には現在も港があって、沖縄離島への玄関口になっていますが、泊港は、琉球のとても古い時代からある港なんです。那覇港が整備される前は、泊港がメインの港でした。泊竜宮神の拝所がある天久宮周辺には、その昔13世紀中ごろに、周辺離島からの貢物を収納する、倉や役所が置かれたそうです。
その後、メインの港は那覇港へと移りましたが、明治初年の地図を見てみると、前島地区付近には塩田が広がっていて、若狭地区にある夫婦瀬公園辺りは海の中です。
泊竜宮神の後ろ側には、現在、県立泊高校の運動場があるのですが、運動場と泊竜宮神との間には、随分と高低差があります。もしかしたら、ここは大昔、泊港が見渡せる高台だったのかもしれませんね。
渡具知の仲竜宮(読谷村渡具知)
読谷村渡具知にある渡具知ビーチ。少し前までは、隠れ家的ビーチだと言われていて、地元の人たちの憩いの場所だったそうです。最近ジワジワと有名になってきましたね。
渡具知ビーチといえば、こんな写真を見たことありません?
実はこの写真の真ん中に写っている細長い岩。この岩のてっぺんに、仲竜宮(ナカルーグー)が祀られているんです。
細長い岩に近づいてみると…
おわかりいただけるでしょうか。岩の上に石碑が建っています。
石碑をドアップで見てみると
ありました。仲竜宮と刻まれた石碑です。
渡具知ビーチ付近の比謝川の河口は、昔、大型船が出入りできるほどの港だったそうです。
渡具知ビーチ横の泊城公園には、琉球が統一される前の時代(14世紀中ごろ)に、今帰仁グスクの戦乱から逃れてきた按司が、隠れ住んでいたとされる、渡具知泊城(トゥマイグシク)跡が残っています。
写真の大きな岩山の、洞窟みたいになっているところが、渡具知泊城跡です。今帰仁からこの場所まで、船で逃れてきたといわれています。
そして時代を経て、薩摩軍が上陸したのも、米軍が上陸したのも、渡具知港だったそうです。悲しい出来事ですが、それだけ大きな港だったんですね。
辺野古集落の竜宮の神(名護市辺野古)
名護市辺野古の辺野古ビーチから続く突堤の先に、亀みたいな小島があります。
この小島の中に竜宮神が祀られています。が、拝所のアップの写真を撮り損ねています。すみません。
この小島は昔からトングァと呼ばれる聖地だそうですが、トングァを辺野古ビーチ西側の高台から見てみると、
トングァの真ん中に、道のようなものが写っています。拡大してみると、
階段の先に鳥居が建っています。竜宮神の拝所は、この鳥居の向こう側にあります。
調べてみると、この拝所はディングヌカミと呼ばれているそうで、実は、戦後に建てられたんじゃないかという説が濃厚でした。大昔に辺野古集落の移動があったり、戦前と戦後で、集落の造りが変わったので、拝所の位置も変わったんじゃないか。みたいな感じでした。
辺野古の海岸沖は、戦前まで山原船(やんばるせん)が頻繁に行き交っていたそうです。山原船というのは、山原から木材を運んだり中南部から生活物資を仕入れたりする、大型の運搬船のこと。陸路が整備されるまでは、山原船だけでなく、人の移動も船がメインだったみたいです。
あの亀みたいな小島、トングァの周りには、山原船が何隻も停泊していたんですって。
糸満のスーシ(糸満市糸満)
糸満市糸満の、白銀堂から海につながる道端にある祠。
あまりにもシンプルすぎて、車に乗っていたらスルーしてしまいそうですが、ここはスーシと呼ばれる竜宮への拝所です。
今ではこの拝所の向こうに大橋や建物が見えますが、戦前は、拝所の向こう側には海が広がっていました。下の写真の、一番手前の漁港から向こう側は海だったんですって。
干潮になると干潟が現れる遠浅の港で、海沿いには漁師たちのサバニ(小型漁船)がずらりと陸揚げされていたそうです。
沖縄に夏を告げるハーリー行事のことを、糸満ではハーレーと呼ぶそうですが、競漕の中でも、航海安全や豊漁を祈願する『御願(うがん)バーレー』が終了すると、スーシーで御願バーレー終了の報告が行われます。
深い深い 竜宮の拝所
さて、今回は4カ所、竜宮の拝所を紹介しました。
沖縄は、サンゴ礁に囲まれている島なので、大型船が出入りできるほど、深くて広い港はとても少なかったそうです。豊富な水が流れる川の河口は、真水が流れ込むのでサンゴが育ちにくかったと。そこに大きな船が出入りして、たくさんの世果報(ゆがふ)と、時には悲しい出来事をもたらしたんですね。
水と海と人と歴史が交差している場所にある、竜宮の拝所。それから、海には豊かさと恐ろしさが背中合わせにあることを、よーく知っている漁師町の人々が祈る、竜宮の拝所。なんだかロマンを感じます。
沖縄には、まだまだいろんな所に竜宮の拝所があります。大人の自由研究は、これからも続きます。
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- クイナがこけた
- 大阪在住の沖縄好き。沖縄に移住したいしたいと言いながら、今も大阪・沖縄間を行き来しています。夫婦で出かけた沖縄旅行のあれこれを『沖縄旅行記(https://okinawa-plan.info/)』というブログにまとめています。