2019.03.20

与那原にある7つの石獅子をめぐる冒険

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沖縄本島で一番小さな町、与那原町。その町内には石で作られたシーサー、石獅子(いしじし)が全部で7つあるという。それならば、探しに行こうじゃないか。

与那原町の石獅子探しの冒険に出かけよう

沖縄の住宅の屋根の上や門扉の上に魔除けとして置かれている、漆喰や焼き物のシーサー。

沖縄らしい風景を語る上では欠かせない存在ですが、その原型となったのが、各地域の集落を災いなどから守る役割をもっていた石獅子(いしじし)という石造りのシーサーです。今では朽ちてしまったものや撤去されてしまったものも多いなか、今日まで現存している石獅子たちは長い時間静かに集落を見守り続けているのです。

そんな石獅子については、過去(約9年前!)に『7つのシーサーを巡る冒険』という記事で宜野湾市喜友名(きゆな)集落に残る7体の石獅子をご紹介していました。

そして今回ご紹介するのは、沖縄県南部に位置する与那原町にある7体の石獅子たち。
その在処はなんとも親切なことに、与那原町観光ポータルサイトYONABARU NAVIと、与那原町立綱曳資料館ウェブサイトにある与那原町の文化財/全域マップにて詳しく紹介されていたので、こちらを頼りに探すことにします。
喜友名は集落内に7体でしたが、今回は町内で7体。地図もあるし与那原町の面積は5.18平方kmと沖縄本島でいちばん小さな町とはいえ、果たして全て見つけきることができるのでしょうか。

それではいざ、石獅子探しの冒険の旅に出かけましょう。

大見武の石獅子

まずは見つけやすそうな石獅子から攻めていくことにします。
与那原町の西側、南風原町寄りにある大見武(おおみたけ)集落にある、大見武集落センターへ。いわゆる公民館のような施設です。

さてさて、石獅子はどこかな?

ぐるりと敷地内を見回してみると、遊具広場の一画にポツンと佇む石獅子を発見。

全体の石獅子としての形はしっかり残っているものの、細かいパーツは崩れているところも多く年月の経過を感じます。

集落センターは戦前砂糖小屋であったが、八月十五夜には、そこのシーサーの前に御馳走を供えて拝み、部落民総出で棒術や踊りをして村の繁盛を祈願した。現在は、酒、果物だけで簡単に済ませている。ー序説・むかし与那原(1988)より

特に劣化が激しかったのは向かって左側。哀愁が漂います。

横から見ると、緩やかなおすわりのポーズ。


ゲェーキッタナイヨー

1体めはサクッと見つかりました。よし、この調子でどんどん行きましょう。
 

火の石獅子

お次は火の石獅子。与那原町の南西側、南城市の大里寄りの上与那原地区にあります。

細い道路を入っていくとすぐに見えてくるのが支柱に囲まれた石獅子、火の獅子。

与那原町にある石獅子のなかで唯一、支柱に囲まれている石獅子で拝所となっていました。

昔、村内で頻繁に火事が起こったのを調査したところ、大里村の古堅部落も火事が頻繁に起こっており、そのため火を返す獅子を頭を与那原に向けて建てたためだと分かった。それに対抗するために建てた獅子と言われる。ー与那原町の史跡(1995)より

ウコール(香炉)に小銭が入っていました。この部分だけちょっと石の質?が違っているのは何故だろう。

支柱と鎖のせいでちょっと見づらいですが、周囲に配送センターや工場があり大型車の出入りが激しい場所なので、これがあるおかげでしっかり守られているのだと思います。

ニカッとと笑った口の中には、葉っぱがちらり。歯が欠けたおじさんみたいでかわいい。
 

北の石獅子

次は与那原町の南東側、板良敷(いたらしき)地区にある北の石獅子へ。国道331号線沿いにあります。

あ、あんなところに!

コンクリートの壁に寄り添うように佇んでいます。前足が牛のヒヅメっぽい?

1986年10月28日の道路補修の際、戦前まであった北の石獅子(琉球石灰岩)が土中から出土した。従来は与那原(村)に向いていたのを、今回は雨乞毛に向けて再安置されている(位置は戦前と同じ)。ー板良敷誌(2014)より

向かって右側の頭部の劣化が激しく、耳や目のあたりが削られたようになっていました。

正面からは前足が牛のヒヅメのように見えていたのですが、横から見るとなにかしらの土台の上に前足を置いている様子を表しているっぽくも見えます。

なんとなく本土の獅子舞にも通じるものを感じる、彫りの深い凛々しいお顔立ちの石獅子です。
 

 

新島の石獅子 1

さて、残りは4体。地図を確認すると、与那原交差点に面して与那原町のちょうど中心あたりに位置する新島集落を取り囲むように石獅子があるようです。ここからは徒歩移動で探すことにしましょう。

国道331号線沿いで、新島の石獅子ひとつめを発見。車窓から見たことがある!という人も多いのではないでしょうか。

位置は昔のままだが、現在の獅子は戦後作られたもので、琉球石灰岩が用いられている。戦前の人は、この獅子に囲まれた中が、村内むらうちであると言う意識をもっていた。ー与那原町の史跡(1995)より

もっこりとした立派な胸筋(胸毛?)がチャームポイント。近年作られたもしくは修復されたものなのでしょうか、これまでの3体と比べると、細かい造形がはっきりと残っており明らかに劣化が少ないです。

たっぺー(絶壁)な後頭部。

歯並びの良さ。そして明るくユーモラスな表情をしていますね。
 

新島の石獅子 2

お次は新島の石獅子ふたつめ。えびす通りという広い道りに面してはいるのですが、電柱と雑草の影に隠れておりちょっと見付けづらい場所にあります。

唐人そばを提供している『民芸食堂』という沖縄そば屋さんの斜向いあたり。

これまで見た中で背丈がいちばん小さく、目がくりっと大きく鼻筋が通っていて色白美人な石獅子です。

横から見ると1.5頭身ぐらいでしょうか。重たい頭を前足で一生懸命支えています。

口元をよく見ると、ちょろっと舌を出しているようにも見えます。小悪魔女子...!

ちなみに新島にはかつてもう1体コンクリート製の石獅子があったそうなのですが、破損消失してしまい現在は台座だけが残されています。
 

中島の石獅子 1

残る石獅子はあと2体。
元々は新島地区の東隣にある中島地区に置かれていた石獅子ですが、現在は別の場所に置かれているとのことでした。

工事のため与那原町コミュニティーセンター前に仮設された後、2018年の年末に水路沿いの「東宮殿下御上陸記念碑」の向かいにお引越ししたそうです。

ふたつ前に出てきた新島の石獅子 1と背格好や胸筋、歯並びまでよく似ています。この体型、獅子(ライオン)というよりはゴリラっぽい。

正面から見ると、お行儀よく正座しているようにも見えますね。

それにしても歯並びの良さ。
 

中島の石獅子 2

いよいよラスト1体となりました。
これまでの6体は比較的スムーズに見つけることができましたが、最後の石獅子の場所が地図を見てもいまいち分からずなかなか見つかりません。

石獅子を探しつつ歩いていると、与那原の水路近くに材木屋が数軒並んでいることに気が付きました。

調べてみると戦前戦後、国頭で切り出した材木を山原船で与那原港に運び込んでいた歴史があり、このあたりは港町として栄えていたそうです。

木のいい香りに包まれながら歩いていると、ようやくラスト石獅子を発見!

木が...! 木がめり込んでる...!!

そう、最後に見つけた中島の石獅子 2は、木が顔にがっつりとめり込んだ世にも珍しい石獅子でした。

横から見ると、すっと背筋の伸びた姿勢の良い石獅子です。

側頭葉にしっかり根付いています。

こんなになっても笑顔を絶やさない、君こそが石獅子のなかの石獅子だ。
 

きっとあなたも石獅子が好きになる

というわけで本日は、与那原町内にある7体の石獅子を巡る冒険の記録をお送りいたしました。
地図があったおかげで比較的どの石獅子も見つけやすかったのですが、普段歩かないような集落の細い路地を探索したり、個性豊かな表情や体型に驚いたり、なぜここに置かれていたのかという歴史を調べてみたり。
これまで知らなかった沖縄の民俗文化の一面を垣間見ることができました。

yonashishi37.jpg
これは首里の御茶屋御殿の石獅子

古い集落の周辺に今も残る、個性豊かな石獅子たち。
次のお休みには、沖縄の石獅子をめぐるちょっと変わった冒険の旅に出かけてみませんか?

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