2019.08.07

中城高原ホテルを造った沖縄の偉人高良一(たからはじめ)

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取り壊しが始まった中城高原ホテルは、なぜ造ったのに2ヶ月で閉館することになったのか。また高原ホテルを造った高良一さんは、ホテル以外にもぶっ飛びすぎる構想をぶち上げている、まさに豪傑!であり沖縄の偉人!

伝説の中城城跡公園遊園地と高良一(たからはじめ)

先日伝説の中城城跡公園遊園地と高良一という面白そうなイベントが行われた。
高良一さんとは、米国統治時代から復帰後に活躍した沖縄の実業家であり政治家。高原ホテルを造ったご本人であり、今では考えられないぐらいのブッとんだ企画力と実行力を持って、沖縄に多大な功績を残した人です。

高良一さんの功績

1907年(明治40年)8月14日 〜 1994年(平成6年)

・米国統治時代の沖縄における那覇市議会議員
・戦後沖縄初の映画館である「アーニーパイル国際劇場」の開館(「国際通り」の名は、この劇場の名称から由来している)
・現在の沖縄海邦銀行の前身の一つである「那覇無尽株式会社」を設立
・アニーパイル国際劇場の隣に「平和館」開館(「平和通り」の名は、この劇場の名称から由来している)
・1951年には那覇市多額納税者第1位に
・沖縄初の近代的ホテル「琉球ホテル」を開設
・中城高原ホテルを開設
・モノレール建設を提唱

人生ゲームでめちゃくちゃ勝ってもできなさそうな功績ばかりですが、上記は形になったもので、後述しますが実現しなかった構想もまたすごいのです。

そんな高良一さんと中城城跡公園遊園地の話。しかもゲストが高良一さんの長女であり先の知事選にも出馬していた渡口初美さん。
情報量が追いつかない!アツい!アツすぎる!

めちゃくちゃイベントに行きたかったのですが行けなかったので、イベント主催者の沖縄アーカイブ研究所のプロデューサーであり、沖縄の映画『パイナップルツアーズ』の監督を務めた真喜屋力さんにベントの様子やこんなイベントをすることになった経緯を伺いに行きました。

ちなみに沖縄アーカイブ研究所とは、記録映画や8ミリフィルムの映像をデジタル化している組織で、沖縄アーカイブ研究所webサイトでは沖縄の貴重な昔の映像などが公開中です!

高良一と中城城跡高原ホテルの謎を掘るイベント

- 先日行われた、高良一さんと中城高原ホテルのイベントがめちゃくちゃ面白そうだったのですが、イベントをするに至った経緯は?

8ミリ映画には、興味深いけどマニアックすぎて公開しづらいものが多々あります。会場であり、同主催者であるPunga Pongaの翁長巳酉さんと、少ないキャパで、ゲストを迎えて、根掘り葉掘り聞けるような上映会はできないかと以前から話をしていました。そこでサウダージ8ミリフィルムと題して、第1回は、1951年から8ミリを撮影してきた遠藤保雄さんを迎え、遠藤さんがエンジニアとしてかかわった沖縄の電力工事の私的な記録映像を上映、第二回は市場の人々を招いて、マチグワァー特集。

そして第3回は当初は 中城城跡公園にあった遊園地や動物園の8ミリ映像を見ながらやるつもりで、中城高原ホテルはやる予定はなかったんです。


中城城跡公園の遊具「沖縄アーカイブ研究所より」

でもやはりあそこには中城城跡高原ホテルがあるので、ダメ元で渡口初美さんに出演をお願いしたら喜んで来てくれました。

- 渡口初美さんは前回の知事選に出馬もしていますが、遊園地と中城高原ホテルをを造った政治家の高良一さんの長女にあたりますもんね

おそらく、取り壊しが始まったこともあり、今話さないとということで出演を快諾していただいたのだと思います。
でも中城高原ホテルは実質の営業が2ヶ月しかないから、写真も映像もほとんどないんです。
造った高良一さんについて調査するうちに、これがものすごい人だとわかって、イベントでは初美さんの話も加わって爆笑と感動のトークイベントになりました(笑)

 

中城高原ホテル

- 中城高原ホテルはどういった経緯で造られたのでしょう?

自分が知っている範囲ですが、もともとは中城城跡公園の遊園地は1950年に行政によって造られています。でも運営がうまくいかなかったので、民間に運営を譲渡しようと相談したのが高良一さん。高良一さんはホテルの建設込みの条件で承諾したそうです。
でも当初から文化人に全力で反対にあっています。もめている最中の1957年の新聞広告がこちらです。


新聞広告の写真「近く建設されるホテルの模型図」

そしてイベント用に作ったものですが、中城城跡ホテルの当初の完成予想図を、実際に立てようと計画した場所に合成した写真がこちら。


真喜屋力さん作図

- 沖縄の城跡の上に、日本の城が!!

でもこの文化財無視の野望は、文化人から大反対にあって中止になっています(笑)
ホテルが外国人中心というのもあったし、沖縄という文化をまだ定まっていない時期だったのもあるかもしれません。

初美さんによると、ホテルの建設費はそれまでの事業の売り上げなど全資産をつぎ込んだそうですが、もともとはそのお金は恩納村の海岸の土地を全部買い占める予定の資金だったとか。いまの恩納村の観光地化のことを考えると、本当に先見の明がすごい!としか言いようがありません。というか海岸を全部買い占めって、スケールもすごすぎますが(笑)

 

世界に1部だけの中城高原ホテルのパンフレット

ちょっとここで中城高原ホテルのパンフレットを見てください。
これは中城村護佐丸歴史資料図書館に保管されているんですが、おそらく世界にこの1部しか残っていないだろうと学芸員さんがおっしゃっていました。


(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)


貴重すぎる資料(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)


雷岩が見える部屋は個室なのか通路なのかわからないぞ(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)


イベントや観光案内などにも時代を感じる(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)


1975年の海洋博前にホテルがなくなるとは...(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

 

ホテルの閉館とその後

- いま見ても面白いホテルだと思いますが、何がきっかけで閉館することになったのでしょうか

これも聞く人ごとに微妙な違いはありますが、ひとことでいえば沖縄の本土復帰でしょう。
恩納村の海岸を買わずに資産を投げ打って造ったホテルですが、復帰によって中城城跡一体が文化庁によって文化財保護地域に指定されたんです。それで、ホテルや駐車場などの建設中止が言い渡されました。展望台はまだ建設途中、入口からホテルまでのバスを乗り入れる予定だった道も作られなくなってしまった。行ったことがあればわかるんですが、入り口からホテルまでは結構遠い。あそこを歩くか、専用のバスに乗り換えとなると、無理があります。結果2ヶ月で閉まることに。
でもいつオープンして、いつまでやっていたという記録は探したけれどありません。

ホテルは2ヶ月でしたが、プールや剥製館などはその後2年ぐらいは運営していたようです。僕も小学生のときにプールで泳いだ記憶があります。ジャングルプールがとても楽しくて良い思い出です。


ジャングルプール(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

- 閉館から半世紀ほど取り壊されなかったのはなぜなんでしょう

解体費もかかるし、造ったのに運営できなかったという損失も大きかったので、その保証を誰がするのかというのが大きかったのだと思います。
高良家にとっては想像できないぐらいの損失です。
昔の新聞に損失額を計算した記事があったので見たら、評価額の合計が49億。それも昭和55年当時です。 不動産鑑定士が評価したようですが。全国的にも例がないってありました。
初美さんもイベントでは「買わなければねぇ」って言っていました。「恩納村の海岸だったらねぇ」って。

- なぜいま取り壊されることになったんでしょうか?

高良家はこれで没落したわけではなく、その後、みなさんが名のあるところの経営をされていたり、初美さんも那覇市議になったり。
半世紀たって、「もういいよ」って遺恨を手放されたのかと思います。それを言えるのが本当にすごいと思います。

- ホテルはさまざまなロケ地にも使用されていましたが、真喜屋さんは映画などで関わったことはあったのですか?

大学の時に映画の手伝いをしたことがあって、沖縄で自主映画を撮ると。
キャバレーような場所として撮影するから、中城高原ホテルの一番大きなホールを暗幕を張って真っ暗にしてほしいと言われました。
材料は床材などを剥がしていいと許可を取っているからと言われて、ひとりで2日間ぐらいかけてあのホテルの中を歩いて材料を探してまっくらになるように進めていたんですが、結局時間がないからという理由で映画はなくなってしまった(笑)

その時にホテル中を歩き回ったら、上の階は畳なども綺麗に残っていて、人が無断で住んでいたりもしていました。半世紀かけてだんだんと廃墟のようになっていったんでしょうね。個人的には取り壊さずに残して欲しかったなという思いがあります。あんなのはもう誰も作れないので。


パンフレットにも和室には畳、洋室には赤絨毯が写っている(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

ただあの建物がなくなったら、元の地形がほとんどそのまま出て来るんじゃないかと。ちょっとそれは楽しみにしています。
公設市場と中城高原ホテルが同じ時期になくなったというのは感じるものがありますよね。

 

高良一さんの(実現しなかったけど)すごすぎる構想

最後にイベント時にも紹介された中城高原ホテルを作った高良一さんのすごすぎる構想をお伝えしたいと思います。高良一さんはユニークな発想と行動力で「高良ラッパ」という異名がついた方。これらはすべて実現はしませんでしたが、稀に見る沖縄の偉人だったことがわかるはずです。

先島連結


「西銘順治研究」佐久田繁 編著 月刊沖縄社に掲載された『めざせ「昭和の蔡温」- 西銘知事二一世紀に向けての提言』高良一著の挿絵より

八重山列島は結べばいい!

石川運河


真喜屋力さん作図

海洋博を前にして沖縄本島で最も細い石川-仲泊間に運河を!

他にも与論-奥の海底トンネルや、首里-識名つり橋、伊江島架橋などぶっ飛んだ構想をたくさん企画されていたそうです。
それを考えると、中城城跡にホテルを建てるのはわりと現実的だったのかも...?

ホテルと一緒にプールや遊園地、動物園などを造ったのはレジャー施設がなかった県民のためだそうです。廃墟、幽霊ホテルなんてさんざん言われていましたが、中城高原ホテルにかけた高良一さんの情熱や夢を思うと、いまさらですが閉鎖されたことや解体されることが残念だなと思うのでした。


解体前の中城高原ホテル

中城高原ホテルは来年3月には解体終了だそうです。跡地は公園になるとか。
でも建物なくなってもきっといつまでも私たちの心にはホテルの面影は残り続けることでしょう。忘れてしまいそうになったら、ぜひこの記事をまた見にきてくださいませませ。
そろそろ解体、中城高原ホテルの記事もあります。

 

沖縄アーカイブ研究所さんからのお知らせ

お宝フィルム眠っています

沖縄アーカイブ研究所にはさまざまな貴重なフィルムが集まっているそうですが、現在もっともデジタル化したいのは郷土史研究家の福地唯方さんの残した87本のフィルムだそう。フィルムが劣化しており映写機にかけられないのでどんな映像が入っているのかは蓋を開けてみないとわかりませんが、フィールドワークで得られた沖縄各地の貴重な映像と思われます。


一部テストでデジタル化に成功したそう

デジタル化には1フィルム最低30万円のお金がかかるそうですが!ご興味のあるかたは、沖縄アーカイブ研究所さんまでぜひお問い合わせください。

取材協力

沖縄アーカイブ研究所 真喜屋力さん、仲間公彦さん

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