2024.12.25

【連載】ハブでも分かる!?遺老説伝 Vol.75 牡馬の祟り

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1740年代に琉球王国の歴史書として編纂された『球陽』の外巻である『遺老説伝(いろうせつでん)』。首里政府が各地に命を出して集めたとされるその内容を、漫画でゆるく描き下してみるという試みです。

ハブでも分かる!?遺老説伝

『ハブでも分かる!?遺老説伝』とは

『遺老説伝(いろうせつでん)』は1743年から1745年にかけて琉球王国の正史として編纂された『球陽(きゅうよう)』の外巻で、各地の御嶽や行事の由来、珍しい出来事などを首里政府が各地に命令を出して集めたものとされています。

当連載『ハブでも分かる!?遺老説伝』は、"ハブでも分かる" をコンセプトに、原文(漢文)をそのまま読み解くには難解すぎる『遺老説伝』を、沖縄出身の漫画家・吉元あきこが漫画で描き下してみる、という試みです。ただ、本当にハブでも分かるかどうかはハブのみぞ知るので悪しからず。

*当連載の内容はすべて史実というわけではなく、フィクションが大いに含まれていますのでご了承ください。

第75回『牡馬の祟り』

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牡馬(おすうま)の祟り

むかし、具志川の字堅邑に多真利(たまり)という人がいて、家に一匹の牡馬を飼っていました。
ふだんうんと肥らせて、お正月には殺して食べようと思って養っていると、月日の過つのは早いものでお正月もせまって十二月二十八日になりました。
多真利は、この牡馬を殺すため斧を持って原ッぱに連れて行くと、馬は自分が殺されることをわかってでもいるかのように、路々いくどとなく悲しい声を出していななくのでした。
ようやく原ッぱまでひっぱってきた多真利は早速殺すことに決めて、斧を振りあげ今まさに打殺そ うといたしますと、不思議にもこの牡馬は四方へかわるがわるむかって声高くいななき、それが終ると今度は前の双足をまげて、人間が膝まづきでもして命乞いをする格好を致します。
これがすむと東の方へ向って淋しそうに三声いななき、そして静かに深く深く首をたれその両眼をおうようにしていましたが、とうとう多真利の斧にかかって死んでゆきました。
ところがその後珍らしいことに、この多真利の家では主人の多真利を始め、妻子までひきつづき病にかかって死んでしまいました。
今の世になっても彼の子孫はことごとく絶えていないそうです。
この事があってから以後、宇堅邑の人が牡馬を飼うと即座に死んでしまいますので、牡馬は決して飼はないことになったという話です。

『琉球民話集 全巻 球陽外巻遺老説伝口語訳』 P43-44より
琉球史料研究会編(1963年)

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