川から見える沖縄の今昔【今帰仁・本部編】

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沖縄に流れている、いたって普通の川。普段はその存在すら気づかずに通りすぎていますが、調べてみると、今では想像もできない風景が見えてきました。

青い空、青い海、白い砂浜がまぶしい、夏真っ盛りの沖縄で、私は川を眺めていました。

前回私は、竜宮の拝所について記事を書きました。竜宮の拝所つながりで港について調べていると、「昔はこの港から川を遡って、内陸のあの辺まで船が往来していた。」という一文をしょっちゅう見かけるのです。さらに、船が上ってきたという位置をGoogleマップで確かめると、それがけっこうな内陸寄り。

えー!こんなところまで船が来てたのー?という驚きと同時に、当時そこがどんな風景だったのか、気になってしょうがなくなりました。

ということで今回は、沖縄の川から見える昔の風景について調べてみました。

志慶真川(しげまがわ)

今帰仁村にある世界遺産・今帰仁城跡の、東側を流れている志慶真川(しげまがわ)。深い谷底を流れているので、今帰仁城内からは志慶真川を見ることはできません。


この城壁の左側を流れている

歴史本によると、今帰仁城跡が栄えていた時代の志慶真川は、城下まで小舟が行き来していたというのです。

ひとまず、河口から今帰仁城跡までの位置関係を、Googleマップの航空写真で見てみましょう。わかりやすいように志慶真川と今帰仁城跡を線でなぞりました。


志慶真川と今帰仁城跡の位置

大昔、志慶真川の河口はナガナートゥという港で、そこに大きな船を停泊させて、そこから小舟で物資を運んでいたそうです。現在の地図を見ながら考えると、ずいぶんと内陸まで船が来ているように感じます。

続いて、現在の志慶真川の様子です。本当は志慶真川沿いを上流までたどって行きたかったのですが、車で行けたのは河口に近い国道505号線付近まででした。真夏の沖縄の茂みに、徒歩で分け入る勇気はまだありません。

ということで、国道沿いから見た志慶真川。まずは今帰仁城跡方面の風景。


国道505号線から今帰仁城跡方面に見る志慶真川

とても小舟が行き来していたとは思えない、どちらかといえば小川です。

そして、国道505号線から河口方面の風景。


国道505号線から河口方面に見る志慶真川

さっきよりは幅広ですが、船はちょっと…。

実は細かいことを言うと、志慶真川の河口付近は『ニークン川』という別の呼び方をするようです。ただ、調べてもよくわからなかったので、その辺はアバウトで話を進めます。

さて、撮影ポイント周辺を改めて航空写真で見てみます。すると、志慶真川周辺や国道505号線より海側には田畑が広がっていることがわかります。

調べてみたところ、この辺の田畑の中には、その昔入江になっていて、大きな船(唐船)を停泊していたけれども、時間と共に陸地になって、その後畑になった。という『トーシンダー(唐船畑)』と呼ばれるエリアがあるそうです。

他にも、船をつないだ綱の跡がある石が、田んぼの中に残っていた。など、大昔は入江だった形跡が残るエリアが、いくつかあるようです。

ということは、大昔のこの辺は今帰仁城跡のすぐ近くまで入江になっていて、志慶真川の河口から城下までの距離も、今よりもっと近かったのかもしれません。

残念ながら、今回調べた限りでは、どの範囲が入江だったのかを特定することができずゲームオーバー。

今後、新たな発見があれば報告します。

 

大井川(おおいがわ)

今帰仁村の中心地、仲宗根地区を流れる大井川(おおいがわ)。

大井川の河口にも、炬港(テーミナト)という港があって、大正の初めごろまで木材や生活物資の運搬に利用されていたそうです。そして、物資を運搬する船(山原船)が大井川橋まで上がってきていたというのです。

ということで、仲宗根の大井川橋を見に行きました。


大井川橋から河口方面を見る

なかなか幅広な川ですが、近年まで船が停泊していたとは、想像もつきません。

大井川橋の位置を、Googleマップで見てみましょう。

なるほど、航空写真で見ると河口から船で来れそうな気が、しないでもない。

ただ、炬港が利用されていた時代は、大井川橋より河口寄りの、現在今帰仁酒造がある辺りに、山原船が何隻も停泊していたというので、今よりももっと広い入江だったと思われます。

ところで一説によると、大井川橋がある仲宗根という地名は、方言で『ナハスニ』と発音するそうです。『スニ』というのが、砂が寄り集まってできた砂州のことをいうらしく、この辺一帯は昔、海の中で、仲宗根という地名はそれに由来するのではないか。ということでした。

今帰仁で生まれ育った方のエッセイにも、大昔は大井川橋辺りが河口だったのではないか。というような一文がありました。

この「大井川の河口、今よりもっと内陸だった説」を深追いしていると、仲宗根よりさらに内陸側の玉城地区に、海水がそこまで来ていたことを意味する『ヨリアゲ』という名を含む、御嶽(うたき・沖縄の聖地)があったという情報を目にしました。(『ヨリアゲマチウノ御イベ』を祀る『オホヰガワ嶽』)

ならばその御嶽を探せ!というところで今回はゲームオーバー。現在、その御嶽はなくなっているそうで、場所を特定することができませんでした。

これもまた、新しい発見があれば報告します。

 

満名川(まんながわ)

本部町渡久地の町営市場の辺りから、東へ2kmほど行った山手に、並里地区があります。そうです。約2km山手です。

渡久地から並里までの道沿いを流れている川が、満名川(まんながわ)。

まずは、並里で撮った現在の満名川の風景です。


並里の満名橋から河口方面を見る

話の流れからお察しの通り、満名川のこの辺りも、大昔、船の往来があった場所です。しかも、並里にはその昔、造船所があったというのです。

現在並里公民館の前には、造船所だったという広場が残っています。それが『ジューフニ毛(じゅーふに公園)』。


『じゅーふに公園』と刻まれた石碑がある

『ジューフニ』とは『ゾーフネ(造船)』、『毛』とは原っぱとか広場の意味です。

さて、ここで並里公民館の位置をGoogleマップで見てみましょう。

マップをかなり縮小しないと、海が見えないぐらい内陸寄りです。

調べていると、大正8年発行の『沖縄県国頭郡志』に、おもしろい一文があったので抜粋します。

”字並里にジューフネといへる地名あり是れ造船の轉訛にして古への造船場の跡なりといふ。之を以て満名田圃は即ち昔時の港湾なりしを知るべし。”

満名田んぼは昔の港湾だった?満名田んぼってもしかしてこの辺のこと?ということで、昔の港湾を想像して色を塗ってみました。


※あくまでも想像の範囲です。

この辺が港だったのは、先ほど志慶真川の項で登場した今帰仁城跡が栄えていた時代。当時、港の機能は西隣の伊野波地区にあって、並里で造った船を、伊野波で下ろしていたそうです。

現在の地図を見ると想像もつかない歴史ですが、並里を歩いていると、公民館周辺が急に小高い丘になっていて、この辺から海に降りて行ったのかな。とか、知ったようなふりをしたくなります。


公民館前から満名川へ向かう急な坂道

 

おまけ-大小堀川

内陸ネタから少し話がそれるのですが、瀬底大橋付近を車で移動中、気になる祠があったので立ち寄りました。


瀬底大橋付近の気になる祠

場所は本部町の健堅地区と大浜地区を分ける川の河口付近で、国道449号線が川を渡っています。


川の上に走る国道449号線

Googleマップで見るとこの辺り。

調べてみると、この川は大小堀川だそうです。読み方はおそらくウフグムイ川。

『小堀(くむい)』という言葉には、『ため池』とか『くぼみ』みたいな意味があります。大きい+ため池っぽい河口=入江。ということでしょうか。

本部町史には、大小堀は船が出入りする大きな入江だったとありました。そして、現在瀬底大橋が架かっているあの辺の海は、大昔から唐船など交易船が停泊する港だったそうです。

その昔、大小堀川の河口から、1kmほど入った丘の上にグスクを築こうとしていたようですが、今帰仁城跡ができたからやめたんだという言い伝えがあるそうです。今帰仁城跡ができるよりも古い時代のエピソードが、こんな通りすぎてしまいそうな河口に残っていたなんて。見る目が変わります。


大小堀川の河口から丘の方面を見る

この奥の丘の上に、アメラグスクの拝所が残っているようです。アメラグスクというのが、造りかけていたグスクのことです。

ちなみに、最初に気になった祠は、近年カツオ漁が盛んになったことで拝まれるようになった、リューグチングンという竜宮の拝所でした。

 

時の流れと共に変わる風景

さて、こんなところまで船が来てたのー?という驚きから始まった沖縄の川研究。調べていくと、船が来ていたというより、入江が来ていたんですね。

今帰仁の昔の様子を描いたエッセイには、「今帰仁の海べりや川べりは、この四、五〇年の間に、いちじるしく水面から浮き上がって来ている。」とありました。

上流から流れてきた土砂が、時間をかけて積もっていったり、土地の開発などで、沖縄の風景は今と昔とではずいぶんと変化しているようです。

私が見に行った大井川橋は、国道505号線のルートが変わったとかで、新しい橋に架け替えられていました。新しい大井川橋の隣に、昔の橋の跡が残っていて、すでにここも歴史の名残なんだなぁと思って見ていました。


昔の大井川橋の跡が残っていた

しかし、今帰仁も本部も、調べれば調べるほど、歴史を物語る地名やスポットが出てきて、興味が尽きません。しかも情報はあれども場所がわからない、地図のない宝探しをしているようで、どっぷりゲームにのめり込んでしまうのでした。

 

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クイナがこけた
大阪在住の沖縄好き。沖縄に移住したいしたいと言いながら、今も大阪・沖縄間を行き来しています。夫婦で出かけた沖縄旅行のあれこれを『沖縄旅行記(https://okinawa-plan.info/)』というブログにまとめています。
 

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