喜如嘉の高台から太古の入江を眺める

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大宜味村喜如嘉(きじょか)へ太古の入江を見に行きました。

久しぶりに投稿します。大阪在住のクイナがこけたと申します。

琉球の歴史に魅せられてまだ数年。時間を見つけては大人の自由研究を楽しんでいます。

昨年竜宮の拝所について調べたことで沖縄の港に興味を持ち、港について調べているうちに今は陸地だけど昔は入江だったという地形が好物になり、やがていつどこで歴史本を読んでいても「昔はここまで海水がきていた」という一文に敏感に反応するようになりました。

さて、今年の夏の沖縄旅行は本島北部に滞在するので、久しぶりに大宜味村へ遊びに行こうかという話になりました。

そこでさっそく大宜味村の拝所や御嶽について下調べをしていると、謝名城(じゃなぐすく)という地区に「ウスチグチ」と呼ばれる場所があることを知ったのです。

「ウスチグチ」は「ウスンザキ」とか「ウスザキ」とも呼ばれ、漢字で書くと「潮打口(ウスチグチ)」、「潮の岬(ウスンザキ)」、「潮崎(ウスザキ)」。

漢字が示す通りウスチグチは、昔そこまで潮が満ちてきたと伝わる場所なんだそうです。

しかもウスチグチのある謝名城から隣の喜如嘉地区に広がる畑地はその昔入江で、今ではずいぶん内陸になっているところまで舟が入ってきていたというのです。

これはぜひ見に行かねばなりません。

謝名城のウスチグチ

沖縄本島北部の西海岸側に位置する大宜味村。

今回訪れた大宜味村謝名城には琉球が統一される前の時代のグスク跡が残っていて、地域一帯が古い歴史を持っています。

そんな謝名城で真っ先に向かったのがウスチグチ。そこは謝名城共同店のすぐそばでした。

共同店を背にウスチグチから喜如嘉の畑地方向を見た風景がこちら。


謝名城のウスチグチ

一見するとただの道ですね。右手の崖のような森みたいなあたりがウスチグチだそうです。

さらにGoogleマップでウスチグチを上から見てみても、

海の気配も潮の気配も感じられません。

 

ここまで舟が入ってきていた

ウスチグチの次に向かったのは謝名城の隣、喜如嘉地区。

大宜味村喜如嘉と聞くと伝統的な織物「芭蕉布」を思い出す方は多いと思います。その喜如嘉では喜如嘉貝塚が発見されていて、ここもまた古い歴史を持つ土地であることがわかります。

そして喜如嘉のずいぶん内陸なのに昔はここまで舟が入ってきていたという一帯は、Googleマップで指しますと、だいたいこの辺。

上から見ると普通に山裾っぽく見えます。

ただその辺りを歩くと、ついさっきまで平坦な道だったのが急に坂道に変わっている場所がありました。


喜如嘉の山裾の道

写真の手前と奥とでは坂の角度が違うのをおわかりいただけるでしょうか。

しかしこれだけでは感動が薄いので、喜如嘉の入江についてもう少しお話しを。

 

喜如嘉ターブク

大宜味村喜如嘉には「喜如嘉ターブク」と呼ばれる平地が広がっています。ターブクとは沖縄の言葉で田園地帯のこと。

「喜如嘉ターブク」といえば、最近は春先にオクラレルカ(アイリス)の開花が話題になる場所です。

この場所がオクラレルカ畑になる前は、い草の栽培が行われていたそうです。い草栽培の前は水田。水田が作られる前は干潟で、さらにその前は入江だったそうです。

ということでオクラレルカ畑の写真も撮ってきました。


オクラレルカ畑

ただの草原に見えますね。夏なのでオクラレルカの気配もなく…。

でもオクラレルカ畑をGoogleマップの衛星写真で見てみると、

山に囲まれた平地になんとなく入江っぽい雰囲気を感じます。そしてここにウスチグチと船が入ってきたと伝わる場所を書き込んでみると、


※Googleマップのスクリーンショットに書き込みました。

なんとなく入江の輪郭が見えてきました。

しかしこれではわざわざ現地に行かなくてもGoogleマップで済む話です。ということで、もっと太古の入江を肌で感じられそうな場所を目指しました。

 

喜如嘉の高台から眺める

喜如嘉共同店の後ろにはヒンバー森(ヒンバームイ)と呼ばれる丘があります。そこは喜如嘉の火の神(ヒヌカン)が祀られていて祭祀の場でもあります。


喜如嘉のヒンバー森

ここに少しお邪魔して、高台から太古の入江を眺めてみました。

まずはヒンバー森から東シナ海の方向。

写真手前の畑のように見えるあの辺りは海の中だったかもしれません。

そして現在のオクラレルカ畑の方向。

写真左手の方向が東シナ海。矢印辺りがだいたいウスチグチ。その手前に広がるのがオクラレルカ畑。

 

昔とはいつのことなのか

ところで先ほどから太古とか昔とか曖昧な表現が続いていて、我ながらそれはいったいいつの話やねんと思っていました。

昭和54年(1979年)発行の『大宜味村史』によると、今から5、6000年前ごろは喜如嘉川(現在の大川川か?)の他、大宜味の平南川、饒波川、屋嘉比川の下流は湾だったそうです。その頃の大宜味の海岸線は典型的なリアス式海岸だったとも書かれていました。

一方、喜如嘉のオクラレルカ畑一帯がいつのころまで入江だったのか。昭和61年(1986年)発行の『角川日本地名大辞典 沖縄県』にこんな一文がありました。

集落南西にある真謝上(まじゃうい)という山が、300年ほど前に崩れて入江を埋め、ターブックヮになったと伝える。

1986年発行の書籍に書かれた300年前を単純に計算すると、真謝上が崩れたのは1686年頃だと考えられます。

参考までにその頃の琉球王国は尚貞王の時代。江戸幕府では徳川綱吉将軍の時代だそうです。

ただ、大宜味村の資料には喜如嘉の入江には山原船の出入りもあったとあるので、「喜如嘉の入江300年前に埋まっちゃった説」はもう少し掘り下げてみた方がいいような気もします。山原船というのがかなり近年になってから活躍した船だからです。

今後の課題が少しだけ残るのが琉球歴史探訪のおもしろいところ。これがいつの日かバチンとつながった時には口元のニヤニヤが止まらなくなるです。

ということで、2019年夏、大人の自由研究はここまで。

しかしこうやって高台から眺めていると、今は豊かな緑が広がるこの場所には水面がキラキラ輝いていた時代があったんだと、太古の風景がぼんやりと浮かび上がってくる気がするのでした。

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