ちんびんとポーポーの呼称がごっちゃになってないか

昔ながらの琉球伝統菓子である「ポーポー」「ちんびん」。しかし「ちんびん」なのに「ポーポー」と呼ばれているものも結構ある。この呼称の乱れはどういうことなのか。調べてみた。

昔ながらの沖縄のおやつ、ちんびんとポーポー

沖縄には「ポーポー」「ちんびん」と呼ばれるおやつがあります。『沖縄大百科事典』(沖繩タイムス社, 1983)によれば、その違いは以下の通り。

ポーポー
小麦粉を水でといて薄く平たく焼き、芯に油味噌を入れてくるくる巻いた、代表的な家庭のおやつ。昔はユッカヌヒー(旧暦5月4日)や、旧暦5月5日の男児の節句には必ず作られ神仏に供えた。中国の<ぽーぽー>に作り方も形も似ているのでそこからつたわったとものとおもわれる。同類のものにチンビンがある。

チンビン
焼き菓子の一種。水で煮てアクをとった黒砂糖液で小麦粉を溶く。油をしいて熱したフライパンに流し入れ、丸く平たく焼きのばし、手前からゆるやかに巻いて仕上げる。ユッカヌヒーや、旧暦5月5日には必ず作られ、おやつとして重宝。似たものにポーポーがある。

と定義されています。
ざっくり言えば、ポーポーは味のない生地に油味噌を巻いたもの、ちんびんは黒糖味の生地に何も入れず巻いたもの、という違いがあるということですね。

で、ここで長年疑問に思っている事なのですが...


ちんびんだけどポーポー


こちらも定義で言えばちんびん


こちらも黒糖味の皮のやつ。

ちんびん、ポーポーって言われがちな件についてです。先述の沖縄大百科事典の定義でいう「ちんびん」に相当するものも、「ポーポー」という呼称で呼ばれていることがままあります。これは一体どういうことなのでしょうか。
気になったので調べてみました。

 

SNSで聞いてみる

まずはみんなどう思っているのか、SNSで聞いてみました(下のポストのRead Repliesで寄せられた言及も確認できます)。

どちらもポーポーと呼ぶ人もいれば、やっぱりちんびんであるという人もいて割とばらけている感じですね。

他にも地域ごとに違う、家庭ごとに違うという言及も。

一点気になるのは言及にあった「楚辺ポーポー」。楚辺ポーポーは読谷村楚辺に伝わる伝統菓子で分厚い生地に黒糖が練り込まれている、定義で言えばちんびんに相当するもの。

旧暦4月15日、16日の「アブシバレー」に各家庭で作られており、そのレシピは門外不出だったらしいです。また楚辺では各家庭がポーポーを上手に焼くためのポーポー鍋(フライパン)を持っているらしいという噂も聞いたことがあります。

ちんびんだけど、名の知れた「楚辺ポーポー」でポーポーという名前が定着した...というのはあるのかもしれません。

ちなみに他にも平安座島では旧暦3月3日-5日のサンガチャーという行事の際に作るという「サングヮチポーポー」というものがあるらしいですが、こちらも油味噌を巻かない、チンビン的なやつだということです。

 

文献を当たってみよう

続いて、ちんびんとポーポーについて書かれた文献を調べてみることにします。

家庭ではポーポー・チンビンを仏壇に供えてから食べた。今日ポーポーと称している薄茶色(黒糖入り)はチンビンのことで、ポーポーは白色で中に味噌を包んでいる。『琉球国由来記』に「五月五日箕餅(チンビン)、唐の粽子(ちまき)になぞらえて作りける。箕(穀物をふるい除く農具)の形に似たる故(中略)。

『沖縄の年中行事100のナゾ』 比嘉朝進 著 1984

まず、チンビンについては琉球國由来記(1713年)に記載があるらしいです。こちらでも5月5日と書かれているのでユッカヌヒーに食べられていたと書かれていますね。

続いて沖縄県史です。

小麦粉(ムジナクー)を水にといて、これをポーポー鍋(フライパン)で薄く焼き、焼き上がるとぐるぐる巻いて食べた。これを巻餅(チンビン)といい、塩味のもの・甘蔗(ウム)で甘みを出したもの・黒砂糖で甘みをつけたものがある。巻かずに切って食べることもあるが、その時は平焼き(フイラヤチ)という。また巻餅(チンビン)のように巻く前に、端っこに味噌や油味噌をおいて、それから巻いたものをポーポーという。巻餅・ポーポーは中国伝来の焼き菓子であると思われるが、王朝時代には士分以上のものが贈答品に用いたところを見ると庶民のおやつとして普及したのは明治以後のことかもしれない。

『沖縄県史 第22巻 (各論編 10 民俗 1)』 琉球政府 1972

ちんびんにも種類があり、塩味のものもあると書かれています。限りなくポーポーに近いですが、ポーポーとの違いは油味噌の有無ということでしょうか。また、もともとは士族の贈答用で明治期に庶民食になったのではと書かれています。

小麦粉に黒砂糖をまぜて焼き巻いた中国風の菓子でキンビンという。このキンビンはケンビン(巻餅)の転化であろうといわれている(東恩納寛惇氏による)。今日では一般的にチンビンまたは、黒ポーポーともいう。

『日本の郷土料理 12』 石毛直道 [ほか]編 1987

ちんびんのことは「黒ポーポー」!
このあたりにちんびん=ポーポーのヒントがありそうです。

「こいつは......」
「黒ポーポーというんですって。黒砂糖入りのうどん粉の皮をこんがりと焼いただけのもので、お通夜のお供え用らしいんだけど、滝さんだったら別にかまわないと思って」

『赤い呪いの鎮魂花 (カドカワノベルズ)』 山村正夫 著 1983

黒ポーポーについては沖縄を舞台にした小説にも出てきてました。

私はちんぴんを赤ポーポー、ぽうぽうを白ポーポーと呼んでいた。今ではぽうぽうとちんぴんの呼称が入り乱れて区別がなくなりつつあるようだ。

『沖縄の食文化』 外間守善 著 2023

上記ではちんびんは赤ポーポーとされています。また。呼称の区別がつかなくなっていることについても触れられています。

そして、ちんびんとポーポーの呼称について触れられている一番古いものは

五月四日は"四日の日"と称して玩具市が立つが、大抵の家で諸種の菓子の他に"巻餅(ちんびん)"餑々(ポーポー)"を製へる。此の両者は支那伝来のものであるが、近来両者を一緒くたにして"ポーポー"と謂って居る人が多いのは如何したのだらう。勿論、油味噌を中に籠めて白い衣で巻いたものがポーポーなのである。

『思出の沖縄』新崎盛珍 著 1956

1956(昭和31年)年でした。ちんびんとポーポーの呼称がごっちゃになっているのは割と昔からのようです。

もう一点、ちんびんについて気になる記述を見つけました。

チンビンは糸満には名称すら知られていない。

糸満の民俗 : 糸満漁業民俗資料緊急調査 沖縄県文化財調査報告書 1974

糸満ではちんびんは知られていない!!!

 

結局どういうことなのか


あんまり写真がないのでちんびんミックスの写真を置いておきます

というわけで調べたことをまとめておきます。

ちんびんとポーポーは割と昔からごっちゃで呼ばれていた

まずはちんびんとポーポーの呼称について。1956年に「近来両者を一緒くたにして"ポーポー"と謂って居る」とあるので少なくとも昭和30年代ではすでにちんびんをポーポーと呼んでいた事が分かります。
ちんびんは「黒ポーポー」「赤ポーポー」と呼ばれていたという資料があり、そのあたりからちんびんがポーポーと呼ばれることになったのかもしれません。


牧志の松原製菓で販売されてたポーポー。うまそう。

地方的なこともあるんじゃないのか

もう一点、糸満ではちんびんという名称が無かったという記述がありました。

他にも定義的にはちんびんなのに楚辺ポーポーだったり、サングヮチポーポーというものがあったりするのは先述の通りです。

ここから考えられる可能性は実はちんびんとポーポーをきちんと呼称で分けていたのは那覇、首里あたりでそれ以外の地域はちんびんもポーポーも一緒くたに「ポーポー」と呼んでいたのではという仮設です。もともとは士族の贈答用だったという話もあったので割とありそうだと思うのですがどうでしょうか。

とりあえず分かったことは以上です。ちんびん・ポーポー問題について知見をお持ちの読者の方がいらっしゃったらぜひコメントをお寄せください。また、みなさんがちんびん・ポーポーをどのように呼んでいるかも教えて下さいませ。また新事実が判明したらお知らせしたいと思います。

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