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【復帰40周年特集】看板跡で巡る寂れちゃった繁華街めぐり
今年2012年の5月15日の沖縄復帰の日はちょうど40周年ということで、DEEでも
・【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
・【復帰40周年特集】農連市場の風景
・【復帰40周年特集】1日ドルだけ生活
という復帰にちなんだ特集を続けてきましたが、皆様いかがだったでしょうか?本日でDEEの復帰関連記事は終わりで次回からは通常更新となります。
で、トリをかざるのに「復帰にちなんで腹筋40回」みたいなことをしたかったのですが、多分いろんなところから怒られそうなので今日もわりかし真面目な記事を書こうと思います。
沖縄がアメリカ統治化から日本に復帰して40年。色々なものが生まれたり無くなったりしたわけですが、今回は沖縄復帰ごろの看板跡から復帰直後には賑わっていたけど現在は寂れてしまってもはや面影がなくなった繁華街跡を中心にご紹介したいと思います。
沖縄市八重島(ニューコザ)
まずは沖縄市の八重島から。外国人向けのお店が建ち並ぶ国際色豊かな町並みでも有名な沖縄市ですが、かつて八重島には「ニューコザ」という歓楽街がありました。
沖縄市の八重島は1950年ごろから外人相手の特歓区として発足した地で1950年の末には50軒の飲食街が立ち並び米兵は八重島区を「ニューコザ」と呼んでいたのだとか。最も盛んな時でバーやクラブが130軒、ホステスが300人もいて「コザの不夜城」とも呼ばれたといいます。
しかしその後米兵の長期オフリミッツ(繁華街への立ち入り禁止)などで徐々に寂れていって今は普通に住宅が立ち並んで昔の面影はほとんどなくなっています。
一件だけクラブの看板の跡が。この建物は他に比べて大きくて、当時はかなり流行ったクラブなのだろうと思われます。
クラブの名前は「ClubWalty」。今は普通の民家になっているようです。
こちらは一見普通の住居のようですが
目をこらすとうっすら「BAR」の文字が。
こちらは今は普通の作業所ですが
バーとかレストランだったのかもしれません。
このかすれたマークはペプシコーラ
文字は判別できなくても、建物の形がバーみたいな(平屋にコンクリートの看板がついてるかんじ)建物は結構ありました。どれも民家として使われている模様。
ここは八重島の入り口。中央に椰子が植えられて、少し前までは「NEW KOZA」という看板があったそうです。看板は撤去されて今は無くなっていますが何となく繁華街の入り口の面影はみることができます。
沖縄市のパルミラ通りにある「コザ戦後文化展示室ヒストリート」ではこの「NEW KOZA」の看板のレプリカがあります。ヒストリートでは戦後の沖縄市の様々な展示物が展示されていてこちらも沖縄市を知る上では必見です。
うるま市与勝ー与那城あたり
勝連半島を通る10号線と8号線。ここから勝連半島の先に行くと、米軍施設のホワイトビーチがあります(ホワイトビーチの記事はこちら)。この道沿いはかつては米兵やその家族向けのレストランやバーなどが建ち並んでいたのだそうです。
現在は八重島よりも全然面影がないのですが
レストランのネオン看板跡。民家みたいになってます。
こちらはうっすらBarと書いてあります。
近くのお店の人に話を伺ったところ、昔は外国人向けのバーが立ち並んでいたが、今復帰当時の面影を残すのはこの二つの建物くらいでこれもそろそろ取り壊されるようだ。今はスナックがちらほら見えるがもともと外国人向けのバーを経営していた方が日本人向けにスナックをやっているところも多いという。
これは復帰前後なのか時代がよく分からなかったけど、この建物
よく見ると銭湯跡のようです。名前は「満水湯」という名前だったよう。「琉球新報」の看板の横には温泉マークも。
辺野古アップルタウン
最後は辺野古のアップルタウン。
キャンプシュワブが近いために1960年代はずいぶん栄えた社交街だったという。アップルタウンの名前の由来は1957年に宅地開拓事業を辺野古が行った際に力を貸してくれた米軍のアップル中佐から名前をとったらしい。
集落の中は沖縄市やうるま市よりもわかりやすく、英語看板が残っている。
こちらは結構大きめの建物に星条旗がペイントされている。民家になっている場所も多いのだけど、すでに人が住んでいなくて廃屋になっているような場所も結構多いみたいです。
バーやクラブ跡の数はかなりのもので、当時はどれだけ辺野古の街に活気があったのかわかるような気がします。辺野古もいずれは沖縄市の八重島地区やうるま市の通りみたいに普通の住宅地と見分けがつかなくなっていくのかもしれません。
消えていくもの、まだあるもの
以上、昔は賑わっていたけど、今は寂れてしまった繁華街を看板跡を中心にご紹介しました。いつも見慣れている通学路や家の近くの路にある建物で、取り壊された瞬間にそこになにがあったのか思い出せなくなることはままあるわけで、これらの看板や建物もいずれは消えてしまったり、塗り直されてしまったり、取り壊されたりしてしまうことでしょう。
復帰で栄えた繁華街の雰囲気を味わえるのは今だけかもしれません。興味を持たれた方は今のうちに是非ぶらぶら街歩きしてみてみることをオススメします。