黄金森(クガニムイ)には何があるのか

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沖縄県内には各地に「黄金森(クガニムイ)」という場所がある。黄金森(クガニムイ)にはいったい何があるのだろうか。いくつかを巡ってみた。

黄金の森と書いて「黄金森(クガニムイ)」。字面だけみると埋蔵金でも隠されていそうな地名ですよね。


ちょっと見えずらいですが、黄金森公園(南風原町)入り口です。

黄金森という名で最もよく知られているのは南風原町にある黄金森ではないかと思います。

「黄金森公園」として巨大な公園として整備されており、陸上競技場や沖縄陸軍病院南風原壕群20号などの戦跡もあります。

で、本題なのですが黄金森(クガニムイ)という地名についてです。最近調べ物をしていて気づいたのですが、沖縄にはいたる所に黄金森(クガニムイ)と呼ばれる場所があるのをご存じでしょうか。

DEEの過去記事から見ていくと、国頭村にある安須森(アスムイ)は別名「黄金森」と呼ばれていたという記事があったり、沖縄市八重島にある謎の神社のあたりも「黄金森」と呼ばれていたようです。

そうなってくると気になるのが黄金森の名前の由来です。県内各地にある黄金森は何をもってクガニムイと呼ばれるようになったのでしょうか?クガニムイには何があるのでしょうか?県内各地の黄金森を巡ってみました。

 

黄金森(南風原町喜屋武)

というわけで、まずは冒頭で出てきた南風原町の黄金森から。

案内板を見ると、旧陸軍病院壕などの戦跡の他、ちょこちょこ拝所的なものがあるようです。

とりあえず登ってみます。

とりあえず見晴らしはよい。

さらに山の中に入っていきます。

仏の前(フトゥチヌメー)は旧暦9月9日の節句で健康を祈願するための拝所だそうです。

頂上付近には「喜屋武シジ」という頂上への道が。琉球王朝時代は、南風原間切の納税完納祝いの宴会をする場所だったそうです。また、戦時中は兵士の見張り場所として使用されたそうで、交通壕の跡や、砲弾の爆発でできた穴がまだ残っていると書かれていました。

全部はまわれてないですが、南風原町のクガニムイにあったのは以下。

南風原町のクガニムイにあったもの
・戦跡
・拝所

 

黄金森(沖縄県那覇市おもろまち)

続いては那覇市のおもろまちにある黄金森公園。

平成18年に開園していて、割と綺麗な公園です。

公園は高台にあり、結構見張らしもよいです。

全然、森要素はないなと思っていたのですが、公園の一角だけちょっと木がこんもり生えている一角がありました。

木が茂っている場所には拝所が。「黄金森」と書かれていました。

おもろまちのクガニムイにあったもの
・拝所

 

黄金宮(宜野湾市大謝名)

続いては宜野湾市大謝名にある文化財黄金宮(クガニナー)。別名は黄金森グスクと呼ばれています。

なんか近隣が住宅街で戸惑いますが、看板が立っています。

森的なものはなく、拝所がありました。

案内板によるとここは初代中山王の察度が王になる前に楼閣を造営し、居住した場所として伝わっているそうです。また、由来については以下のように書かれていました。

天女の子と伝わる察度(サット)は、ある日、勝連按司(アジ)が婿さがしをしていると聞き勝連に出かけて行きました。

按司と家来は察度のきたない格好を見て馬鹿にしましたが、按司の娘は察度の人徳を見抜き、嫁入りを決めました。

察度の家は、垣根も壊れ、雨漏りもしていました。しかし汚れたカマドをよく見ると黄金でできていました。びっくりしている按司の娘を察度は畑に連れて行きました。察度の畑には黄金が石ころのように転がっていたのです。

(以下略)

察度は家の周りに転がっている黄金で鉄を買って農民に配って、その人徳で浦添の按司になり中山王になるというサクセスストーリーです。ここに来て始めてお金的な黄金が出てきました。

大謝名のクガニナーにあったもの
・拝所
・察度の家
・黄金がゴロゴロ転がっている畑

 

我謝遺跡(西原町我謝)

続いて西原町我謝にある我謝遺跡。西原町のサイトによればかつて「クガニムイ(黄金森)」、「ガージャモー(我謝森)」と呼ばれていたそうです。遺跡はグスク時代のもので土器などが出土したようです。

GoogleMapで出た場所に行ってみると、ちょっとだけ木が残っているエリアがあり拝所がありました。

拝所に書かれていたのは、「謝名越之殿」。

ここもなかなか見晴らしがよかったです。他にも近くに公園があって、そこにも木々がああったらしいのですが気づかずスルーしてしまいました。

西原町の我謝遺跡にあったもの
・拝所
・グスク

 

浦添グスク(浦添市仲間)

最後は浦添グスク。中山王の居城で、今は浦添大公園の一部になっています。

ここにもクガニムイと呼ばれている場所があったそうで、そこまで行ってみます。

浦添城趾の中は石積みの遺構や屋敷跡、沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷の墓があったりするのですが、戦跡「ハクソー・リッジ」としても有名です。

クガニムイと呼ばれた場所はグスクの奥の方なので、そちらまで行ってみます。

はっきりとした場所が分からないのですがこのあたりの森でしょうか?

森の中には何があるかは入れなかったので分かりませんでしたが、斜面は墓地になっておりものすごい数の墓がありました。

浦添グスクのクガニムイにあったもの
・グスク
・墓

 

けっきょく黄金森には何があったのか

というわけでいくつか黄金森(クガニムイ)と呼ばれていた場所を巡ってみました。あったものは様々ですが、基本的に共通して言えることは「見晴らしが良い場所」であるということです。ただ、沖縄で森(ムイ)は森というよりも、ちょっとこんもりとした山のことを指しているので黄金森の特長というか森(ムイ)の特長ではないかと思われます。

続いて、共通して拝所があったのですが、まぁ沖縄って割とどこにでも拝所があるのでこれまた黄金森(クガニムイ)の特長ではないように思えます。

結局のところよく分からなかったのですが、何となく昔の人は日が昇る方向にある山のことを「クガニムイ」と言っていたのではないかとか漠然と思っているのですがどうなんでしょうか?詳しい人が居たら是非教えて下さい。

ものすごく長い割に漠然とした結果になりましたが、県内にはまだ黄金森(クガニムイ)と呼ばれる場所が多くあるようです。そちらの情報もご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい!

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