馬場から見える風景

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沖縄にはその昔170箇所以上もウマウィー(マーウィー)と呼ばれる競馬場・馬術訓練場があったらしい。その痕跡を探してみた。

以前、沖縄こどもの国で約70年ぶりに行われた沖縄競馬「ンマハラセー(ンマハラシー)」をご紹介したことがあるのですが(70年ぶりに復活した沖縄競馬「ンマハラセー」を見てきた)、その昔沖縄では馬はもっと人々に身近な存在でした。

県内の各地にはウマウィー(マーウィー)と呼ばれる競馬場・馬術訓練場があり、その数は資料で確認するだけでも沖縄本島153、周辺離島19、宮古3、石垣3の178箇所にものぼるそうです(「沖縄県における馬場跡の調査報告」国健 2003)。


1961年に撮影された今帰仁村の仲原馬場(沖縄県公文書館所蔵)

馬場の特長としては内地の競馬場のように楕円形ではなく、2,3町の広場であったとの記載があります。今の写真が無くて恐縮ですが、上の写真は今帰仁村の仲原馬場。今もなお、変わらぬ感じで残っています。というわけで今回は馬場跡に訪れてそこから見える景色を見てみようという内容です。

 

崎山馬場跡(那覇市)

まずは首里城近くの「崎山馬場跡」。瑞泉酒造がある通りです。首里の道はかなり狭いですが、ここだけちょっとだけ広くなっておりそのあたりが馬場の痕跡といえばそうなのかもしれません。

案内板によれば崎山馬場はお受け御用達の馬場だったのだそう。

このあたりに友人が住んでいて、かつてよくこの道を通っていたのですがまさか馬場跡だったとは。ちょっとビックリしました。また調べてみると龍潭池の前の道には「松崎馬場」という馬場もあったそうです。

 

平良真地跡(那覇市)

こちらのまっすぐな道は那覇市大名にある平良真地跡。こちらも途中までは細く曲がった道なのですが、唐突にまっすぐな幅広い道路が出てきてちょっとビックリします。

案内板によれば平良真地は識名の馬場とともに琉球王国の二大馬場だったそうで長さは300mの直線、幅は15mくらいあったそうです。

かつては松並木があったらしいですが、今は完全に住宅地に。それでも幅広の直線道路がかつての馬場の痕跡を残しています。

 

古波蔵馬場跡(那覇市)

続いては那覇市の城岳小学校の前の道。こちらは松並木が残っています(当時のものではないかもしれないけど)。

こちらは古波蔵馬場跡。幅10m前後、長さは200Mくらいあったそうで月に一度馬勝負(ンマスーブ)が行われていたと案内板に書かれていました。

すごくずんぐりむっくりした馬の像が置いてあるのですが、案内板によれば当時の写真をもとに実物大に作られた馬の像なのだそうです。在来馬なのだと思うのですが、この大きさであれば家でも飼えそうな大きさでした。

 

小禄馬場跡

最後は那覇市小禄のこの道。

メ-ミチと呼ばれ綱引きが行われた道でもあるそうです。正直馬場の跡が残っているのかと言われればよく分からない道でした。

 

馬場跡はあちこちに

以上、馬場跡を回ってみました。馬場の痕跡の特長は直線で幅広の道であり、皆さんがいつも通っている道路もひょっとしたら馬場跡かもしれません。他にも浦添市役所にはかつて安波茶馬場という馬場があったらしいですし、琉球大学には千原馬場という馬場があったということです(ブラ琉大、歴史の旅)。

また県内の何カ所かには「馬場公園」という名前の公園が存在し、馬場(の一部)が公園になったものと推測できます。

ちょっと地味ではありますが、県内あちこちの馬場の痕跡をぜひ探してみてください。

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