2016.12.01

久高島では戦前、結婚後に花嫁が何ヶ月も逃げた

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「東四間切絵図(あがりゆまじり)」という絵に描かれているニービチ(結婚)がまるで誘拐なのである。結婚ってこんなことだっけ?昔の沖縄はいったい...。

東四間切絵図

先日、南城市役所にお邪魔したときに応接間に「東四間切絵図(あがりゆまぎり)」という絵が飾ってあったので何気に見ておりました。
絵図は神のさと・南城ウォーク事務局さんが制作されたそうです。


東四間切絵図

そこには現南城市の佐敷、知念、玉城、大里の昔の風習や逸話などが描かれています。


津波古には棒術があるとか、佐敷のふっちゃー石は達人が放り投げたら地面に刺さったやつだとか

久高島に描かれていたニービチが誘拐すぎる

いろいろ興味深いのですが、久高島には誘拐の絵が描かれていたのです。
しかもこれがニービチ、つまり結婚だと。


ニービチ(久高島の結婚式の儀式)

…えーっと。結婚ってこんなんでしたっけ?
女性は明らかに嫌がってます。
嫌がって木にしがみついてますが、捕まえようとする男性がその木の根っこごと引き抜いています。

嫌がる女性を男性が木の根ごと引っこぬく。
根を引く、根を引く、根を引く。
ねーびき、ねーびき、ねーびき….

ニービチ!

そうなんです、実はニービチの語源は根を引くだったそうです。
まじか。

逃げる花嫁

比嘉康雄著『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』に載っていた話を要約します。

婚礼当日夕刻、婿方から根引き人(ニービキンチュ)たちが嫁の家を訪問。3日前から実家を出て友人宅にいた根引き女(ニービキアンマー:嫁)は10人以上の友達に囲まれて実家に行き儀式を行い、次は婿の家へ。ここで水盃が交わされ、夫婦の契りが結ばれる。婿はおにぎりをつまみ「アネーヒャー」(そらでかしたぞ!)と大声で言って食べる。これで婚姻の儀式は終わり。嫁は友達に囲まれて婿側が決めてあった近所の家に移りそのままそこにいる。

翌日、嫁は婿家がまだ寝ている早朝に近所の家から出て後片付けなどをして働き、婿家が起きる頃に実家に帰り食事をとる。しかしこのあとは近所の家にも実家にも泊まることが許されず、夜になると寝場所を求めて逃げ回る。
昼は婿方の畑の手伝いをし、夕飯の準備までするが食事はとらず、こっそり婿家を抜け出して婿が探せそうにない友達の家や、男子禁制の御嶽にもよく隠れた。婿は友人と連れ立って嫁探しを毎晩行った。

昭和の始め頃に嫁が逃げる期間を5日に定めるまでは、数ヶ月でも逃げ、長い人は1年も逃げた例もある。あまりに逃げ続けて破談になった例も。
婿は嫁を探し当てると有無を言わさず力づくでつかまえ、抱きかかえたり担いだりして2人の寝室に入れる。1人では連れてこられない場合は友達が手伝うことも。寝室に入るまでは大声で騒ぐ人もいたらしいが、寝室に入ると嫁は観念する。
このような結婚の伝統は戦前まで続いていた。

比嘉康雄著『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』より

まさに久高島でのニービチはこの絵の通りなのです。
しかし、逃げ続けて破談になるとかすごい。

また、他の文献では久高島だけではなく、糸満でも逃げ隠れはしなかったけれど、結婚して数ヶ月は嫁は実家で暮らしたという記述もあります。ともに漁村で夫が出漁で留守がちなため、貞操堅固を求める気風からこのような風習があったとされています。

1つの絵から知る沖縄の風習。
勉強になりました。

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