沖縄の風呂屋はどこに消えたのか vol.1

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かつて興隆を極めた沖縄のゆーふるやー(銭湯)は現在どうなっているのだろうか。昭和48年の電話帳を元に跡地を訪ねてみた。

沖縄の浴槽事情と銭湯

沖縄の銭湯「ゆーふるやー」は沖縄タイムスの記事によれば「公衆浴場業環境衛生同業組合によると、六〇年の最盛期に県内に三百一件の銭湯があり、ほとんどが那覇市内に集中していた。」(沖縄タイムス2001/10/15 朝刊-1集 19頁 県都面)と書かれています。

しかし、栄華を極めた「ゆーふるやー」も家庭への風呂の普及により姿を消し始めます。


しかし、その割に沖縄には浴槽が無い。

1976年に琉球新報の新聞連載をまとめて発行された『お隣さん考現学』という本には「ふろ屋今昔」というタイトルでゆーふるやーについて触れられていて、「ふろ屋は庶民の社交場だったが、商売にならないほどの経営難に直面、廃業するふろ屋があい次いでいる。」「客の足をストップさせたのは家庭風呂の普及。とくに瞬間湯わかし器がそれに拍車をかけ」という内容が記されています(『お隣さん考現学』 1976年 琉球新報社)。

我々DEEokinawaも開設からゆーふるやーを取り上げてきました。

【ゆーふるやー探訪記】日の出湯
【ゆーふるやー探訪記】旭湯
【ゆーふるやー探訪記】ときわ湯
【ゆーふるやー探訪記】中乃湯

しかし、2017年現在で現存している昔ながらのゆーふるやーは沖縄市にある中乃湯のみとなりました。沖縄の銭湯文化はまさに風前の灯火になっているのです。

 

では逆に消えていったゆーふるやーは現在どうなっているのでしょうか。ここにひとつのリストがあります。

これは沖縄電信電話管理局が発行していた「沖縄県50音別電話帳 昭和48年7月31日現在」、今でいうタウンページみたいなものの「風呂屋」のページです。こちらの資料を基に風呂屋があった場所は現在どうなっているのかゆーふるやーの痕跡を探していきたいと思います。

 

風呂屋のリストから

さて、まずは風呂屋のリストを見てみましょう。
(2017年7月25日追記:リスト載っている銭湯の近親の方から、現在は宅地なので電話番号と住所の詳細は控えて欲しいとの連絡を頂いたので、掲載されてる番号と住所の詳細番地を非公開にしました。)


クリックするとでかくなります。

リストに掲載されている風呂屋は85店舗。最盛期に301件と前出の新聞記事に書かれている割りには少ない数ですが、現存している中乃湯・かつて糸満にあったときわ湯などはリストに入っていません。多分当時は電話帳に掲載する店舗がそんなになかったのかもしれません。

ざっとみていくと「○○湯」という名前に混じって「トルコ」とか「スチーム○○」みたいな名前が見えます。また文化風呂・家庭風呂みたいなやつは多分浴槽制作の会社っぽいので一旦除外。残る「○○湯」の現在地を調べていきます。

ちなみに電話番号前の「那覇」とか「大謝名」は交換局の名前だと思うのですが、浦添は那覇の交換局で電話を繋いでいたんですね。

さくっと住所を地図にポイントしていこう、と思ったんですが住所に注目下さい。「二中前」とか「重民」とか見慣れぬ地名があります。そう。昭和48年から現在にかけてかなり住所の変更があったため、なかなか一筋縄ではいかないのです。仕方ないので図書館で当時の住宅地図を探して風呂屋をポイントしていきます。

ここまでで1ヶ月くらいかかりましたが、とりあえず探し出せた銭湯を地図にプロットしています(スマホの人は拡大地図を表示を押してみて下さい)。古い住宅地図だと地番がきちんと載ってなかったりで若干場所がずれてる気もするのですが、これを元に風呂屋跡がどうなってるか調べてみたいと思います。

 

風呂屋跡はあるのか

まずはざっくり結果についてご紹介していきましょう。

宅地になってる?

いずみ湯(野嵩217)。多分目の前の新しめのアパートの場所だと思われます。

大山湯(大山1228)。宅地になってるっぽいです。しかし、やや古い建物なのでひょっとしたら銭湯が住宅とかになってるのでは…。

中の町湯(上地401)。このアパートの場所がそれに相当するかと思われます。

中央湯(城間2208)。アパート。

いずみ湯(屋冨祖334)。アパート。

上記は宅地になっていた風呂屋跡です。新しめの建物は取り壊しの上、アパートが建った感じですが、割と古めかしい場所もありました。このあたりはひょっとしたら銭湯の建物をそのまま使ってる気もしてるので、もうちょっと周辺を調査しないといけないかと思いました。割とどの建物も銭湯跡に見えてきます。

駐車場

いずみ湯(安謝242)。更地になってました。

サクラ湯(寄宮197)。多分この駐車場。

二中前湯(二中前18)。ここは近隣の方に話が聞けて正確な場所が特定できました。まぁ駐車場だったんですが。

 

なんかあるんじゃないかと思ってはじめた風呂屋跡地調査ですが、割と難航を極めました。よく考えたら電話帳の発行が1973年。すでに44年の歳月が経っているのでそうそう風呂屋の痕跡が残っているハズがないのです。しかしながら、いくつかそれっぽいものを見つけたのでそちらもご紹介しておきます。

こちらはグランド湯(普天間157)。地図によると写真中央の入り口を通った現在駐車場になっている場所がグランド湯の場所っぽいですが…

よく見ると壁にタイルの跡が…!これは銭湯の残滓ではないでしょうか。

床にもリノリウムっぽい跡が残っていました。ここから歩いて、現在駐車場になってるあたりが浴室になっていたんじゃないでしょうか。

続いてこちらは大謝名湯(大謝名525)。駐車場になっていますが…

びっしりとタイルが貼られた一角が。これはもう銭湯跡で決定でしょう。

水道の蛇口跡もありました。

さらにDEEokinawaの編集会議に参加しているライター犬尾さんが「壺川湯」(古波蔵608)に入ったことがある、という話を聞いた記憶があったので聞いてみたところ「まだ建物は残っている」とのこと。

行ってみたら本当に建物が残っていました(とはいえ話を聞かなかったら見逃してた)。

中は人が住んでいる感じではなく、廃墟感が漂っていましたが44年前の電話帳に載っていた風呂屋が現存している…これは割とすごいことなんじゃないでしょうか。

 

しばらく風呂屋跡の調査をしてみたいと思います

というわけで、風呂屋はどこに消えたのか、調査第一回目の報告です。意気揚々と調査をはじめたものの、記事にするとすごく地味、というなんだか損した気しかしておりませんが、しばらくリストを元に風呂屋がどうなっているのか調べてみたいと思います。

そこで皆様にお願いですが、風呂屋の住所を元に住宅地図で場所を調べたりしてるのですがなんとなく場所に確信がありません。風呂屋のお近くに住んでいて正確な場所が分かる方はぜひ教えて下さいませ。あと、昔の住宅地図を調べてみると電話帳に載っていない風呂屋がかなりあるのです。そんな風呂屋をご存じの方がいらっしゃったら是非教えて下さいませ。

では第二段をご期待下さい。

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