沖縄の屋上から vol.4 沖縄市コザ銀天街 -前編-

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街に数多あれどもなかなか立ち入ることができない場所である「屋上」。沖縄の屋上には何があるか。そしてそこから見える風景はいったいどのようなものなのか。第四回はいよいよアーケードの取り壊しが始まった沖縄市の銀天街からです。

街に数多あれどもなかなか立ち入ることができない場所である「屋上」。たまにモノレールから見える沖縄の家々の屋上を見ているとものすごく緑が茂っている屋上やなんだかよく分からないものが置いてある屋上、洗濯物がはためく屋上など様々な生活の断片みたいなものを垣間見ることができます。

沖縄の屋上には何があるのでしょうか。そしてそこから見える風景はいったいどのようなものなのでしょうか。DEEokinawaでは新たな試みとして屋上を巡る旅を続けています。

過去の記事はこちら
沖縄の屋上から vol.1 ちとせ商店街ビル
沖縄の屋上から vol.2 ノボテル沖縄那覇
沖縄の屋上から vol.3 那覇市牧志第一公設市場

 

アーケードの取り壊しが始まったコザ銀天街

さて、本日のお送りする屋上ですが少し前に記事にもしました「コザ銀天街」です。銀天街が成立したのは1978年。それまであった「十字路市場」と「本町通り」を合併する形で誕生。一時期は沖縄本島の中部圏の人が買物に訪れ大変な賑わいだったのだそうです。

しかし近年は人通りもまばら、2014年にアーケードを所有していた銀天街商店街振興組合が解散してしまったため、老朽化したアーケードが現在撤去の運びとなりました。

まさに変わりつつある今こそ、銀天街の屋上に登ってみたい…!

 

銀天街屋上ツアー

といいつつ、何のツテも無かったのですが銀天街の屋上に登る銀天街ツアーが開催されるというのを紹介いただいて、そちらに参加させて頂くことにしました。

ツアー主催者の具志堅さんは生まれも育ちも銀天街ということで昔の銀天街の様子などもお聞きしながらお父さんがオーナーだという建物に上がらせて頂きます。

最初に登る建物はこちら。三階建てで現在は民宿になっているようです。

330号線沿いから見ると建物の位置はここ。まさに銀天街の入り口ですね。

いったい、屋上からは何が見えるのでしょうか。

というわけで屋上からの風景です。360度撮影できるカメラを購入したので、今回からはぐるっとご紹介します。

こちらが大通り沿い方面の風景。右手に見える交差点がコザ十字路。

上から望む銀天街のアーケード。下から見上げてもかなりボロボロなのが見えますが、上からみると老朽化の度合いがよく見えます。

よく見るとアーケードには通路があり歩いていけそうです。具志堅さんは子供の頃は3階の窓からアーケードに降りて鬼ごっこをしていたそうですが、今やるとしたらかなり命がけになりそうです。

アーケードはもと「本町通り」でアーケードができる前は車が走っていたそうです。もともとあった本町通りの建物にアーケードが増設される形で設置されたそうで、たしかによく見ると右奥の建物あたりは結構オシャレな作りになっています。

アーケードが撤去されることで、この辺りも見えるようになるので、またぐっと銀天街の見え方が変わりそうですね。

本町通りのアーケードに交差する形で伸びているこちらの道が「十字路市場」の方面。こちらにも屋根があったらしいですが、すでに撤去されています。

ちなみに下から見た「十字路市場」方面はこんな感じです。

これから撤去されるアーケードを上から見ることができて、大満足だったのですがさらに2件隣の4階建ての屋上にも上がらせてもらうことに。こちらは現在弟さんが住んでいるそうです。

こちらからはよりアーケードをじっくり見ることができます。

赤い矢印の場所にはかつて、「わこうグリーンプラザ」というショッピングセンターがありました(ダイエー系列のショッピングセンターだったらしい)。今は建物も解体されてコインパーキングになっています。

また手前の方に緑がすごい場所がありますが、ここがYoutuberハイサイ探偵団の武cさんのお店の屋上だそう。どこからか飛んできた種が根付いてガジュマルが生えているらしいです。

さらに高い所にのぼれそうなので、脚立をのぼって一段高い位置に。

アーケード部分とその周辺が銀天街だと思われがちなのですが、コザ十字路から329号線を挟んで向こう側も銀天街に所属している場所があるそうでここからはほぼ銀天街の全貌が一望できています。

アーケードの撤去もそうですが古い建物も多く、ここから見える景色はこれからどうなっていくのでしょうか。

 

あのころの銀天街

屋上にあがった後は、昔の銀天街の話を聞きながら辺りを散策します。その昔はアーケードには時計があって、ちょっとしたシャンデリアもあったのだそう。

具志堅さんが子供のころは全島エイサーの時期が近づくと夜、商店街の人たちが集まって「銀天街音頭」の練習をしていたのだそうです。

銀天街音頭とはなんぞや…と調べてみたら動画がありました。4:15くらいからまだ時計やシャンデリアがあったころの銀天街が出てきます。今と違ってすごく明るい感じだったのですね。

こちらはアーケードの端にあるもと銀天街事務所。昔は朝になるとこの事務所で有線放送を流して、それが一日の始まりだったのだそうです。

アーケードを出たとこにあるこの建物はゲームセンターだったそうですが、割とカツアゲが横行していたので具志堅さんはアーケード内にあった方を利用していたそうです。この付近には「十字路オリオン座」という映画館もあったそうです。

他にも色々とお話をうかがうことができました。今、当時の様子が全く想像がつかないだけにすごく貴重なお話でした。ツアー主催者の具志堅さんに改めて御礼申し上げます…!!

 

もうちょっとだけ続きます

いよいよアーケードの撤去作業が始まった銀天街。今回は屋上からアーケードを観察しましたが、実は工事中のアーケードにのぼれることになったのです。というわけで次回は銀天街のアーケードよりお届けしますので乞うご期待ください!!

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