沖縄風景今昔 vol.9 浮島通り

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日々変化をしている沖縄の風景。どれだけ変わってきたのか今昔で見比べてみましょう。

過去にDEEokinawaでは古写真と現在の風景を比べるという記事を何度か公開してきました。

【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)

沖縄風景今昔 vol.1
沖縄風景今昔 vol.2
沖縄風景今昔 vol.3
沖縄風景今昔 vol.4 平和通り
沖縄風景今昔 vol.5 市場本通り
沖縄風景今昔 vol.6 むつみ橋通り
沖縄風景今昔 vol.7 市場中央通り
沖縄風景今昔 vol.8 壺屋やちむん通り

風景今昔として9回目の今回は、那覇の浮島通りに迫ってみたいと思います。

浮島通り

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壺屋の登り窯
撮影日時:戦後 / 所有者:當間林太郎氏提供 那覇市歴史博物館所蔵

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現在はお店が閉まってしまっているのでわかりにくいですが、浮島通りの開南方面側にある店舗を写しています。
古写真の方でナショナル電化製品、薬局がある建物の2階の花ブロックはいまでも残っているのがわかりますね。

今回はこの写真のすぐ隣でお店を構えている富川金物店の富川さんにお話を伺いました。

 

浮島通りの今昔インタビュー

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富川金物店
富川 安盛さん(77歳)

57年前から住んで、50年前ぐらいからお店をしています。
もともとこの通りには中南部からも人が買いに来くるぐらい有名な金物店が4~5 軒あったんです。有名な昔の職人さんが浮島通りにはいて。それがあったので、わたしも金物関係に入りました。
他にも家具屋があり、薬屋があり、お菓子屋があり葬儀社や散髪屋がありといろんなお店がありました。
異業種の通りだったんです。

いまは若者のお店でブティックが多いですが、当時はブティックじゃなく背広の仕立てのお店がありました。
いまはマンションや駐車場も多いですが、昔はほどんどお店でした。

この写真の頃は道路はコンクリートですね。復帰前は両面通行だったんですが、復帰時に歩道を作ったので一方通行になりました。最初は車道と歩道の高さが15cmもあったんですよ。いまの道路になったのは20年ほど前です。

手前に写っているのは軍関係の靴屋ですね。看板が英語で書いてありますね。米軍の靴を修理して出すという形態のお店でした。わたしのお店も当時から包丁を置いていたので、その頃は本国に帰る時にお土産にと包丁を買って行きましたよ。いまでも多いですけどね。

16年ほど通り会会長もやりましたが、最近は若者が通り会に徐々に参加してくれていますよ。これからが楽しみです。

写真の右側に写っている靴のお店は軍関係者の靴修理のお店だったようです。その流れで、富川さんの金物屋さんへも包丁を買いにたくさんのアメリカ兵が来ていたそう。
身振り手振りで商売をしたよ、と笑っておられました。
お店には英語表記の説明書きがあり、いまでもグローバルな金物屋さんでした。

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ひやみかちマチグヮー館で今昔写真展やっています

来年2/29まで牧志公設市場衣料部2Fにある「ひやみかちマチグヮー館」で、DEEokinawaが撮影/取材で協力した公設市場周辺の通りの今昔写真展が開催されています。今回紹介した通りも含めて6つの通りの今昔写真とインタビューを入れ替わりで展示していますよ。

ひやみかちマチグヮー館では平日のひやみかちゼミ、週末の民謡ライブや沖縄芝居など沖縄の文化に触れられるイベントをたくさんやっています。ぜひ近くに行った際は訪れてみてくださいませ!

ひやみかちマチグヮー館

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