沖縄風景今昔 vol.13 開南バス停

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日々変化をしている沖縄の風景。どれだけ変わってきたのか今昔で見比べてみましょう。

過去にDEEokinawaでは古写真と現在の風景を比べるという記事を何度か公開してきました。

【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)

沖縄風景今昔 vol.1
沖縄風景今昔 vol.2
沖縄風景今昔 vol.3
沖縄風景今昔 vol.4 平和通り
沖縄風景今昔 vol.5 市場本通り
沖縄風景今昔 vol.6 むつみ橋通り
沖縄風景今昔 vol.7 市場中央通り
沖縄風景今昔 vol.8 壺屋やちむん通り
沖縄風景今昔 vol.9 浮島通り
沖縄風景今昔 vol.10 サンライズ那覇通り
沖縄風景今昔 vol.11 平和通り
沖縄風景今昔 vol.12 むつみ橋通り

風景今昔として13回目の今回は、開南のバス停に迫ってみたいと思います。

開南のバス停

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開南のバス停
撮影日時:戦後 / 所有者:那覇市歴史博物館所蔵

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古写真だけではどこかわからなかった方も、現在の写真を見たらわかるのではないでしょうか。
広い通りだった一部は現在では歩道になっているようですが、今も昔も変わらずにバス停です。

今回は旧新栄通り(現在のサンライズ那覇通り)に住宅があり、移り変わりを見てきたおじさんに話を伺いました。

 

開南の今昔インタビュー

新栄通りのおじさん

新栄通りで生まれ育っていま65歳です。
写真は開南バス停のところですね。昔はいつもバスが満員だったから、電車に押し込むみたいにバスに人を押し込む人がいたんですよ。
今は路線も減りましたが、昔はバスが主流でしたから。
新栄通の看板はアーケードをするときにサンライズ通りに切り替えたはずです。

戦後はこの辺に配給所があったらしいです。
なぜかはわかりませんが、お茶屋さんも結構ありましたよ。
丸國マーケットのあたりは戦禍なんでしょうね、道具類を売っていました。戦後は家建てるのも何するにも道具がなかったから、みんながこの辺りに買いに来ていたんです。戦禍といっても生きるためなので犯罪なのかは微妙ですよね。そういう時代だったと思います。いまも名残でこの通りには金物店が残っていますよ。

通りでは食料品から衣料品から本屋からいろんなお店がありました。
住宅兼店舗が多かったですが、今は店舗だけが多いですね。
昔みたいな人の付き合いもだんだんなくなっているように思います。自分が小学生にあがる前ぐらいは、通り会からみんなでトラックに乗って祭に参加しに行っていた時代もあるんですよ。

小さい頃は夜の12時まで人が歩いているのが当たり前でした。肩を横にして通らないと人にぶつかってしまうんです。どのお店も12時まで開けていました。仕事を休む人もいません。あの頃はなければないで、一生懸命みんな生きていましたよ。

「あの頃はなければないで、一生懸命みんな生きていましたよ。」という言葉がとても印象的でした。
まだ残っているもの、もうなくなってしまったもの、ここを通るときはおじさんの話を思い出してもらえたら、見える景色が少し違って見えるかもしれませんね。  

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ひやみかちマチグヮー館で今昔写真展やっています

長いと思っていた展示会も今月で終わりです。
今月の29日まで牧志公設市場衣料部2Fにある「ひやみかちマチグヮー館」で、DEEokinawaが撮影/取材で協力した公設市場周辺の通りの今昔写真展が開催されています。今回紹介した通りも含めて6つの通りの今昔写真とインタビューを入れ替わりで展示していますよ。

ひやみかちマチグヮー館では平日のひやみかちゼミ、週末の民謡ライブや沖縄芝居など沖縄の文化に触れられるイベントをたくさんやっています。まだ行けてない方は、ぜひ訪れてみてくださいませ!

ひやみかちマチグヮー館

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